《喜びは 苦も楽もあり ひたすらに》

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 新聞の社会時評に,気になる部分がありました。ヴァルター・ベンヤミンという批評家がいて,述べているそうです。「歴史の天使は,顔を過去の廃墟に向けたまま,進歩という風に翼を閉ざすことができず,未来に向かって後ろ向きに飛ぶ」と。この言葉を引いて,ジグムント・バウマンという社会学者が言ってくれています。「魅力ではなく嫌悪が歴史の主要な駆動力である限り,歴史的変化が生じるのは,人間が,自分の状況のなかで感ずる苦痛や不快を悔しく思ったり,それにいらだったりするからである」。時評氏は「進化は,希望よりはむしろ,顔を背け逃げ出したくなるような現実を離れるために,いや応なく引き起こされて行く」とつなぎ,近時の社会現象であるセクハラに対する「#Me Too」について評論をしてくれています。
 科学の世界で,必要は発明の母,という言葉があります。社会について,苦痛は進歩の母,ということになっているようです。人は何かの壁に遭遇したときに,なんとかならないかと知恵を絞ろうとするようです。逆に言えば,物事が円滑に動いていると,何も考えることがなく,変化を起こすこともありません。現状をごく当たり前と感じている限り,壁というものに気付くことなく,知恵を働かす機会を得ずに,世界を切り開くことも起こりません。壁を見つけることが改革の端緒になります。
 気持ちの面では,苦あれば楽あり,といわれています。楽という心情は,一方に苦という心情が存在するから生まれます。明暗も,暗と明は表裏一体です。物事を見たり感じたりする際に,どちらかだけしか存在しないということはあり得ません。苦楽や明暗といったものではないことの存在を見逃してはなりません。苦でもなく楽でもない状態があります。明るくもなく暗くもない状態があります。いわゆる丁度よいという状況です。日常の挨拶で,暑いですね,寒いですね,の他に,暑くもなく寒くもない,丁度よい季候ですね,があります。
 不便をなくしたい,苦を解消したい,寒さを免れたい,そう願いながら,人は知恵を生み出して社会の発展をし続けてきました。その行く先が程のよいものであればいいのですが。過ぎたるは及ばざるがごとし,だからです。

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(2018年05月20号:No.947)