家庭の窓
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価値観の多様化という言葉は,どのように使われているのでしょうか? 検索した中から一つの事例を取り出してみます。中央教育審議会での配付資料「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)案」に,
社会が物質的に豊かになる過程で価値観の多様化、相対化が進み、一人一人の多様な生き方が可能になった一方で、社会的な一体感が弱まっている。また、近年の経済構造の変化や経済的な停滞、冷戦構造崩壊後のグローバル化の進展等による社会・経済環境の変化により、社会に共通の目的や目標が失われている。
という文章があります。豊かさの側面である多種多様さによって生じる選択可能性を支える価値の拡散を言っているようです。自動販売機から飲み物を購入する場合,ホットかコールドか,無糖か否か,果汁か清涼水か,健康志向か否か,その他に値段のランクや飲む場所柄なども選択の基準となります。
アメリカンフットボールの試合で,勝つという競技目的のためにフェアプレイを損なってもいいという価値観は,多様化には馴染まないようです。子どもはママがいいという選択に片寄ることは,多様性に反するようです。救急的に土俵に駆け上がることは,女性に対してはしきたりという価値観が難色を示すようです。運動場の周りのフェンスをよじ登って外に出ることは禁じられていますが,フェンスの外で転んだまま立ち上がれない子どもを見て,中学生がフェンスを乗り越えて助け起こしました。規則と行為の価値の対立があります。価値の多様性は並立するだけではなく,対立もします。
価値の対立に対して,選択の基準を設けることが必要になります。価値は目的を伴っています。医療行為は通常は順番に施されますが,緊急の場合は重傷者,治療見込みのある人をという優先がなされます。救急車の走行もその一環です。より尊い目的につながる価値が優先されるという了解がなされています。
幼い女児が狙われる犯罪を引き起こす価値観は許されませんが,それを多様化という中に含めて,対応を怠らないことが大事です。負の価値観を在るはずがないと手つかずに放置するのではなく,湧き上がってくることを想定して抑止する価値を確立しなければなりません。子どもは保護され育てられる価値を持っているものであり,大人は育てる義務を負うという価値の実現を了解する社会の構築が必至です。
多様化とは言っても,そこには前提があります。平たく言えば,人間としてあるべき選択につながる価値でなければならないという前提条件です。日常の中では,欲情を控えるということが第一歩になるでしょう。かつては,それを上品という価値観に込めていたように思われます。失われた価値観も再興した方がいいのかもしれません。
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