《喜びは 失うものへ 恩返し》

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 住宅街の中にぽつんと取り残されている一面の田んぼに,緑の稲が20センチほど伸びてきました。短い稲の向こうで何かが動いているのは,雄のカモです。周りを探すと,雌のカモがじっとたたずんでいます。他には見当たりません。ネコがうろついている場所なので気になりますが,水の中にいる間は安全でしょう。たった一つの田んぼをよく見つけてきたものと,少しばかり感心しています。ひとっ飛びすれば,周り一面が田んぼという所もあります。
 カモのつがいを見ているこちらは,夫婦別行動をしています。一人は家で田んぼを眺めて,もう一人は団体の活動で体育館に行っています。それぞれのつながりを持ちながら,夫婦の経験を増やしています。
 ところで,人といると疲れてしまう,ということがあります。夫婦のように,一緒にいるとほっとする関係がある一方で,できれば離れていた方が楽という関係もあります。休日は独りぽっちは嫌で,人混みの中に紛れていたくなるということもあるでしょう。行楽地の混雑は,多くの人と同じ場所にいるという関係になります。必ずしも人とのつながりを求めるのではありません。行楽地でも,お一人さまです。
 野村総研のネット調査によると,「行動するとき,誰かと一緒より一人の方が好きと思う人は全体の65%を占めた」ということです。特に,男性は20代・30代,女性は30代・40代において一人行動が好まれているそうです。その理由としては,「他人とつながる煩わしさ」が多い一方で,「スマホの普及」により一人行動がしやすくなって,一人行動が社会的に容認されたことが挙げられています。
 電車の中でスマホを眺めている人は,SNS等で人とつながっていながら,それぞれ別の場所に一人でいるという状態になっています。同じ空間を占めなくてよいということは,一人であるということになるのです。つながりという状態が直接的ではなく間接的なものにシフトしています。直接的なつながりは自由度が制限されるのでうっとうしくなるようです。このつながりの希薄化傾向が,人を変えていることに気付くべきです。
 テレビを見ていると,気になることがあります。スタジオにいる人と視聴者が同じ映像を見ているという状況のなかで,最も盛り上がっている場面で,テレビ画面はスタジオの人の大写しに代えられてワーッと驚いている顔を映し出します。視聴者は置いてきぼりです。関心を惹きつけるテクニックのつもりでしょうが,スタジオとテレビ画面前とは別ということを押しつけられて,しらけてしまいます。共感という大事なつながりを断ち切ってしまっています。テレビを見なくなります。
 他人とつながることが煩わしい,その感覚が強くなると,夫婦関係,親子関係がほっとする関係ではなくなり,煩わしくなり,さらには断ち切らなければという重荷になります。殺人事件の半数以上がいわゆる親族間で起こっているという現実が,何を表しているのか,気付くときが来ています。人との関係で感謝や感動を生み出しているのは,お互いが「わざわざ」お互いのことを構うことです。わざわざが煩わしくなると,人としての感動は得られなくなります。苦があるから楽があります。

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(2018年06月10号:No.950)