《高まりに わざと水差す 罪作り》

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 久しぶりにテレビを見ていたときの感想です。バラエティ番組で映し出されている状況の展開が佳境に入り,さあこれからというときにいきなりCMで中断されます。何度か我慢して見ていましたが,そのしつこさには腹が立ってきました。以前からあったのですが,最近は特にひどくなってきたようです。視聴者を引きつける手管のつもりでしょうが,何とも下品に感じられます。
 気持ちをずっと引きずっておいてはぐらかすのは,人を引きつけるやり方としては姑息です。相撲で言えば肩すかしかはたき込みです。たまにするから効果がありますが,それはあくまでもぎりぎりの選択です。相撲の取り組みがどの一番も肩すかしばっかりなら,おそらく相撲ファンはいなくなるでしょう。がっぷり四つに組んでこそ,相撲の魅力があります。
 興ざめな番組を見せられているとき,急に頭に浮かんだことがあります。こんな番組を見続けて育った子どもたちはどうなるのだろうということです。気持ちを高めていってこれからというときに水を浴びせられるのですが,精神の自衛のために気分が高まってきたら自分からはぐらかすようになるでしょう。若者らしく旺盛なエネルギーを思いっきりバア−ッと吹き出させることができなくなります。いつも不完全燃焼状態でくすぶってしまうはずです。
 少々きわどい話になりますが,若い男性の機能障害にもつながるような気がします。さあこれからというときに自分でブレーキを掛けてしまい,発散できないからです。そこで薬の力を借りなければならなくなります。バイアグラならまだしも,いわゆる薬物に頼るようになると大変です。
 たかがテレビ番組制作者の視聴率ねらいの下手な手管ですが,それを何とも感じずに見ていられる視聴者の感性がすでに病んでいるように思われます。思いっきり何かに打ち込んでいくという行動が若者から消えつつあることとダブらせて考えると深刻な思いにさせられます。
 ムカツクといった閉塞感は若さの発散に中途半端にブレーキを掛けてしまう自分へのいらだちなのかもしれません。自分に矛先を向けざるを得ない状況は深刻です。出口が見えないからです。その闇のもがきは突然にとんでもないところに意味もなく吹き出すはずです。そのような若者による凶行は,犠牲になった他者に対する動機を探ろうとするから不可解に見えます。動機は他者ではなくてあくまでも自己に向かうはずのものだからです。
 精神衛生上,かくしてテレビはニュースと天気予報を見る機械に戻すことにしました。

(2002年1月20日号:No.95)