《喜びは 違っていても 何気なく》

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 あしなが育英会発行の「父の日にお父さんはいない…親を亡くした子どもたちの作文集」からの引用を,父の日の新聞コラムで目にしました。「父の日はすごく憂鬱です。みんなが気をつかう。「あっ…」みたいな目で私を見ます。それが一番傷ついて,泣きそうになります」小6女子。コラムでは,毎年この日が来るたびに,つらい思いをする子のことも忘れたくない,と結んでありました。
 父の日に父がいない子どもがいます。母の日に母がいない子どもがいます。子どもの日に子どもを失っている親もいます。父がいない子どもに気をつかっている子どもたちは,傷つけようとは思っていないはずです。父のいない子は,かわいそうと気をつかわれている自分を思い知らされることが憂鬱なのでしょう。「あっ…」という目が,違う人というメッセージを突きつけてきます。
 父は誰にもいます。父がいなければ子どもは生まれないのですから。「父親に胸をはって「あなたの娘は,とてもいい娘になりましたよ」といえる娘になりたい」と書いている中2女子がいます。いたって自然に父と気持ちを通わせています。
 側にいなくても,父を意識していれば,父の日を迎えることができます。父とのつながり方には人それぞれに形が違っていていいという了解をすることです。私風の父の日,あなた風の父の日があります。
 情報社会の中で,気をつけなければならないことが話題になります。それは,人は同じである,同じでなければならない,という思い込みを持ちすぎているということです。父の日についても,皆同じように迎えているとしか思っていません。その中で,父のいない子どもには父の日はないと思ってしまいます。違った父の日もあるのです。人は皆違っている部分を持つので,世間の同調圧力に収まりきれないこともあります。そのことを普通にお互いに受け入れていることが必要です。

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(2018年06月24号:No.952)