《喜びは 心支える 言葉持ち》

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 このところ,大学や連盟といった組織の在りようについて,マスコミの取り上げ度が高くなっています。極悪というものではなく,不適切な状況のようです。当事者はのらりくらりと言い抜けることができそうだという対応をしています。直接に関わっていない,悪いことをしているとは思わないという,灰色状況に押し返しています。世間的には,潔くないという感じで呆れているようです。野次馬的には,攻めきれていないし,浅ましいという茶番です。その程度の組織なのかという見限りに過ぎません。そんな大学を選ばなければ,自然に消えていきます。おかしな組織であれば,脱退して新たな組織を立ち上げればいいのです。それが一人の人としてできることです。
 ところで,官僚の不祥事を掘り返しいる過程で,女性の受験生の入試成績を一定割合で減点していたという新たな不適切な行状が吹き出してきました。個人がしでかした所業ではなく,組織活動として行っていたことが問題です。誰も不都合であると指摘しなかった,その組織の堕落が糾弾されるべきです。そういう入試を行う大学であると分かれば,受験する方が選べばいいでしょう。内緒でするから卑怯です。組織は堂々としていなければ,存在する価値はありません。
 旧い言葉,卑怯という言葉を持ち出しました。最近の言葉遣いから消えていった言葉たち,その言葉が表していた思想や信条が,消失しました。その結果が,今の人間社会の品質を低下させています。LGBTの方の生産性を言う不適切な言語遣いは,みっともないことです。日常の立ち居振る舞いは,その人が使っている言葉の品格に依存します。生産性という言葉を人に向かって使う不謹慎さは,人に対する敬意という言葉と心情を欠いていることから生じます。自らの品格を大事にしようとするなら,言葉の品格を意識しなければなりません。
 工業製品について手抜きや虚偽検査といった愚行を続けていた大企業が少なくないという現状も,みっともないことです。物作りをする人は,手抜きを恥とする自覚を持っていたから,よい品質が保たれていました。職業人としての誇り,今その誇りという言葉を,どれだけの人が普段意識しているでしょうか。

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(2018年08月05号:No.958)