家庭の窓
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テレビドラマの中で語っています。きれいごとばかり言っていたのに。陰でお金に目がくらんでずる賢いことをしていたというストーリーです。実世界では,人の上に立つ人たちが浅ましい所業を露呈しているのを,あれこれ突っ込みながら庶民の正義感が盛り上がっています。ごく一部の人なのですが,マスコミで拡散されると,世間全ての様相のように錯覚してしまいます。普通ではないから話題になるという,ニュースの原則を思い出さなければなりません。
いわゆるワイドーショーによる井戸端会議では,テレビ業界に住むご近所の素人さんたちが,あれこれ公言しています。解決のために私はこうするという話はなく,しなければならないことを人に押しつけているだけです。自分のこととして受け止める形で考えていないので,聞き手には全く届きません。総じて,何か不都合なことがあったときに,どういう対策や解決策があるのかという提示は皆無です。○○が問題であるという程度の話は,何も考えていないという証でしかありません。
今すぐ誰が何をどうすればいいのか,その方向に一つでも進むような内容が出る会合であってほしいものです。衆知を集めるという気持ちを発揮するような大人の態度が消えています。そんな真面目な話をしていたら,堅苦しくて,視聴率が稼げないということなのでしょうか。真面目な内容がお望みなら,ワイドショーなど観なければいいのですと言われるでしょう。状況はそうは言っていられないほど,心配な段階に入っています。大人たちが考えることを忘れているように思われるからです。
協議をする場に居合わせると,不適切な状況をあげつらうことや,なすべき課題を突きつけることで終始します。さしあたってできることを始めないと物事は進まないのですが,できそうもないことが提案されます。誰かがすればいいという他人事と思っているからでしょう。自分だったらこうする,そういう発想を持ち寄るのが協議です。考えるとはできることを見つけることです。できそうもないことを言っているときは,考えてはいないのです。
言われたこと,指図されたことをしているとそれなりに事が運んでいく,それが普通なのかもしれません。自分が考えてどうにかできる領域がないのかもしれません。世の中は一人の考えが持ち込める隙はないほど,できあがっています。選挙の際に自分の1票でどうにかなるという実感がないという声もあります。考える意欲が萎えてきてもしようがないということでしょうか。しかしながら,考えるテーマは,自分のすぐ側にたくさん転がっています。それを見つけることが,生きていることでしょう。
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