《喜びは 命と共に 継続を》

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 長男が小学校を卒業の時,校長先生が色紙を全員に書いてくれました。「継続は力なり」。リビングの壁の一角に飾っています。この言葉の出典が明確になっていないようです。ある宗教家の詩の一節にあるという説もあります。地元紙に,新たな説が紹介されていました。
 童話作家の久留島武彦が生みの親であるというのです。米国を視察中に米国人の友人から,教わりました。「人間には三つの力がある。第一はお金の力。次は地位の力。いずれの力も僕らにはない。ただ,人間には第三の力がある。君も僕も持っている。考えの力だ」。
 久留島はそれまでの童話の口演を帰国後も精力的に続けるうちに,ある結論に辿り着きました。「どんなに良い考えを持っていても,続けないと意味はない。継続こそ力だ」。そこから久留島は「継続は力なり」を座右の銘にして,人々に広めていったということです。
 何事かを成し遂げるには,時間が掛かります。その間,力を抜くわけにはいきません。植物が種の発芽から成長をするとき,一時も休むことなく活動し続けます。その時々に応じた活動を粘り強く続けるから,その成果が形になって出現します。いわゆる手間暇をかけてこそ,物事はできあがります。物作りの原則です。
 情報社会の中では,思いつきが表現形になるので,手間暇が掛からなくなっています。例えば,何らかのまとまった表現物を書くとき,文章を考えながら原稿用紙に書き込んでいき,読み直して修正をするときは消しゴムで消すか線引きして抹消することになります。そういう作業を繰り返して,最後に清書して完成という時代がありました。いまは,文書メモリーからコピペして組み上げ,削除挿入も意のままにあっという間に終わります。
 情報社会の中では,時空間が縮小しました。手間暇をかけるという空間がなくなってしまっています。一方で,人が生活している空間は変わってはいないので,亀裂が生じました。情報社会の中での物作りが,手間暇を奪われて,いい加減になっていきます。
 もう少しじっくりと考え続けたら良かったのに,ということが増えています。短絡的というか,刹那的に気分のままに行動しすぎです。考えるという行動は,先ず自分のことを考えますが,次に相手のことを考え,自分を修正することを考え,周りへの影響も考えるということへとつながっていきます。行動を起こしながら常に状況を考え続けることで,物事は適正に成就していきます。さっと終わらないことを嫌うのではなく,ゆっくりとできあがることを楽しむ,それが継続することの恵みでしょう。

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(2018年08月19号:No.960)