《喜びは 豊かであれと 奪われて》

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 中学生の作文コンテストの審査のために,数十編の応募作品を読まされます。その中の一編に気持ちが反応をしました。読む者に印象を与える作品という選考基準もありますが,そういう大層なものではなく,個人的な関心に引っかかっただけです。
 話の流れは少子高齢社会が危惧されているという風潮の中で,高齢化は長寿のせいであるというのはおかしいという意見の表明です。長寿化は喜ばしいことのはずだというのです。高齢化の危惧は,長生きされて迷惑だという非難になっている。中学生が言葉の陰に在る矛盾に気付いているのは,考えたなと感心しています。
 以前から,「年寄りが 増えた増えたと 聞く辛さ」という高齢者の川柳を覚えていたので,同じ声が中学生から聞こえてきたのを,面白く感じています。福祉の方にも関わっているので,高齢化率という数字が重要な因子として扱われているのも,現実です。
 過去に経験したことのない○○という言葉が天気予報に登場し,今年は命の危険がある○○と過激化しています。高齢化も,過去に経験したことのない,初めての経験と言われてきました。したがって,社会の改修が迫られているだけなのですが,高齢化が進むばっかりに余計なことをしなくてはという思いが吹き出してくると,高齢化は迷惑という雰囲気が強まってきます。
 高齢化とくっついて社会構造の変化として,少子化が意識されています。若い人が子どもを産まない,生産性が悪いといった声があがってくる狂騒ぶりです。手元に届くある機関誌の記事の中で,この点に触れているところに出会い,少しだけ考えが進みました。30歳以後の女性の出産率は過去と変わっていないそうです。変わったのは,30歳以前の女性の出産率が低くなったということ,それは出産以前の節目である結婚率が低くなったということです。結婚年齢が晩婚化であることが,少子化の原因というのです。
 かつてと今の結婚に対する考えが違ってきて,結婚が即家庭の成立という思いが強くなったいるのではと感じます。かつては,結婚してから二人で寄り添いながら家庭を作り上げていくというプロセスがありました。嫁入り道具を持参できる良家の結婚は特別な家のものでしたが,今はそうでなければ結婚できないと皆が思っています。暮らしが豊かになって,結婚の形が変わってしまったのです。
 少子化も高齢化も,豊かで健康的な暮らしを目指してきた結果なのです。豊かさとは受け取ることであり,厳しくいえば奪うことです。奪うものが増えてくれば,奪われる側はたまりません。つらいことは,奪う者と奪われる者が同じ者であるということです。自分が豊かになろうとして,豊かにしてやろうという自分がいなくなってきました。その自己矛盾に向き合うことが,少子高齢化に対応する際の覚悟になります。

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(2018年09月23号:No.965)