《喜びは 溢れる情報 忖度し》

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 今,台風が迫ってきています。これから4半日が山場のようです。台風情報が番組放送中のテレビ画面の脇に映し出されています。CM中は全画面CMです。昔と違って,遙か遠い南の海上で台風の卵になりそうな渦の発生から報道されています。北上してくるのか,西進していってしまうのか,進路情報が日々知らされます。数日先の曖昧なことを知らされてもと思いますが,必要な情報と受け取る人もいるのでしょう。
 スポーツ界でも,アメリカンフットボール,レスリング,ボクシング,体操,相撲と次々に話題が提供されてきます。立場の違いから発生する思いのすれ違いなので,傍目にはどうにも受け止めようがありません。表現の自由な世界ではあれこれのご意見が出ていますが,傍観者にはそうなのでしょうかという受け止めに終わっていきます。
 LGBTの方の生産性云々の発言を巡る騒動で,雑誌が休刊になっているようです。表現の中身よりも,話題性を利用して売上増を狙う思惑が空回りをしてしまったようです。「いいね」欲しさの浅はかな迎合主義は,表現の幼稚さに陥ります。表現形式が「つぶやき」になってくると,分かってもらいたいという気持ちや,伝わるようにという気配りが伴わなくなります。勝手な独り言は,繰り言であり,何らメッセージをもたらしません。
 情報社会では,さまざまなものが溢れています。その中から,届くべきところに届くように配慮された情報を選ぶことが必要です。誰に向けて発表されたのか分からない,放り投げられた情報は,通り過ぎていきます。情報はあなたに届けますという気持ちで発信するものです。例えば危険通知の場合,テレビで避難情報を流しても,視聴者には私に向けられていると感じられないから,無視されます。普段のテレビ情報が,画面から放り出されているからです。テレビアナウンサーの発するおはようございますのあいさつに,画面に向かって応えている視聴者はいません。
 コミュニケーションの主流がさまざまな情報機器を介在するようになって,対面する生の情報を失っていることを,便利さの副作用と気付くことが必要です。

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(2018年09月30号:No.966)