《喜びは 分かりすぎずに ほどほどが》

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 医学系の大学で,入学試験の不公正な取扱いが問題になっています。女性受験者や現役受験ではない者に対する意図的な減点措置が明るみに出て,複数の大学に波及しています。いろいろな大学側の思いが関わっているようです。女性の仕事に対するハンディを想定しているようですが,その背景にあるのは女性に対する誤った認識です。その辺りの状況分析については,ここでは踏み込みません。
 大学としては,学生をどのように教育して送り出すかというねらいがあります。ただ,卒業生がどのような人生を歩んでいくかは,卒業生が決めて選んでいくことです。卒業後のことまで心配する必要はありませんし,できるはずもありません。どのような状況になっても,次善の選択ができるような力を身につけさせるのが,教育の使命です。大学の教育レベルに相応しい学力を持った学生を選ぶのが,入学試験です。そこでは,現役浪人を問わず,男女の別を問うことの意味は全くありません。
 かつて大学の入学試験に関わったことがありますが,その際に最も気を遣っていた配慮は,受験生の個人情報でした。採点者は受験番号だけの答案と向き合います。どこの誰かは全く分からないようになっています。集計から発表まで,受験番号だけで進みます。出身高校や性別,年齢,名前などは,入学試験の採点者にとっては余計な情報になります。知っている受験者であれば情実が絡みやすいという危惧を排除することが,受験生に対する誠意です。
 受験生の個人情報をあからさまにしたままで試験の採点をしていくと,答案以外の情報による比較が紛れ込むのは必定です。見えているとつい比べたくなり,その比較に後付けの理由が貼り付けられて,より綿密な選抜ができているという自己満足が生じてしまったのでしょう。最初はちょっとした比較であったのでしょうが,それは良いという流れができて,あれこれの査定条件が追加されていきます。やがて定型として整理されていくと,それが当たり前に思えてくるはずです。採点する者は,より綿密な比較を追い求める心情にはまるので,その材料を与えないことです。
 情報社会の中で,詳しい情報がより良い情報であると考えがちですが,情報を処理する人間の方にやり過ぎに陥るこだわりという弱点があることを弁えておくべきです。知らなければ良かったということがあるのです。あまり根掘り葉掘り聞き出さない方が無難です。

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(2018年10月28号:No.970)