《喜びは テイクは後に ギブ先に》

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 久しぶりに講演をしてきました。ある役所の研修に講師としてお招きを受けました。演題は「人権擁護について」です。人権擁護委員組織の会長をしている筋からのご縁でした。堅い話に入る前置きとしてお話したことを再現しておきましょう。

 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という言葉があります。人は生きていくために衣食住などに関してモノを奪わなければなりません。生きる基本形は,「弱肉強食」です。強くなければ生きてはいけません。ところで,弱い者は奪われるだけになり,生きていくことができません。
 やがて,奪われていた人々が声をあげるまで追い込まれていきました。それが「人権宣言」です。「私にも生きる権利がある」というやむにやまれない叫びです。つまり,人権は,奪われることのないものとして社会に登場してきました。したがって,人権とは,まもること,「人権擁護」という向きを保つことが基本姿勢になります。
 「人権とは,全ての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」と表現することができます。「自由」とは自に由るということ,「それぞれ」とは一人一人がということであり,「自分のことは自分が決定できる」ということです。国連で障害者権利条約を立案する際に,「障がい者の権利を障がい者抜きに決めるな」という声があがりました。
 このように,人権の了解がされてくると奪うことができなくなり,収奪による社会が壊れていき,共生する社会を築かざるを得なくなりました。「優しくなければ生きていく資格がない」ということになります。つまり,「人間らしく生きる」ということです。
 「人権とは,人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」とも言えます。人間らしく生きるとは? 優しさとは? それは同じ人間として対等に支え合って生きること,お互い様の生き方と考えることができます。
 人間という言葉は,人の間と書きます。この間柄のありようとして「人権」が定義されてきたのです。それでは,具体的にどうすれば良いのでしょうか? 人間関係の基本は,生きるために必須の奪い奪われるという関係を前提としてみると,自分が五分で相手が五分という形になるしかありません。「世の中はギブアンドテイク」なのです。
 釣り銭という言葉があります。かつて物々交換の暮らしをしていたとき,お互いに納得できる釣り合いが暗黙のルールになりました。多いと思った方が,釣り合いを取るために余分な分を返していました。それがお釣りです。つまり,五分と五分の釣り合いが原則であったのです。
 ここで,気をつけなければならない大事なことは,ギブアンドテイクの順序です。時代劇の中で,悪代官が豪商につぶやきかける「魚心あれば水心」という誘いがあります。賄賂をくれたら利権を与えようというのは,テイクしたらギブするという逆順になっています。奪ってから与えるというのは,鼠小僧の例でも明らかなように闇のルールです。したがって,人権を侵害する,それはテイクアンドギブという逆順から起こっていきます。もちろん,テイクするだけの場合は当然のことに法に触れる犯罪になります。
 表社会のルールは,先にギブして後からテイクするのです。ギブアンドテイクにつながる言葉を思い出しておくと,「どうぞ」とギブして「ありがとう」とテイクしています。先にテイクしようとするから,奪い奪われることになります。先にギブすると,そこで失う分は自分で決めているから奪われることにはなりません。奪われるという事態を避けるための工夫,それが人間らしさ,優しさとなります。例えば,赤ん坊は親から奪って育っていきます。テイクする存在です。親は子どもから奪われることを「ギブ」と決めて納得しています。子どもは親に存在そのものの喜びを親にギブしています。
 ギブの言葉,どうぞ=プリーズは相手を喜ばせるという意味です。お互いに喜ばせようとすれば,それが人権尊重の行動になるのです。

 本題の人権の話に入らないと,叱られるので,この辺で前置きは終わりにしました。

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(2018年11月04号:No.971)