家庭の窓
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人は暮らしの中で,様々な選択をしています。朝の起床時間は,休みの日を除いて選ばなければなりません。昼の食事メニューは好きなように選ぶことができます。ただ外食では懐具合などの制限があったり,内食では材料ストックによって献立のバラエティが決まったりします。
ブランドの創業者グッチが若い頃,高級ホテルで働いていて上流階級の世界を眺めて学んだことは,商品の原価に意味はなく,高価であるほど所有する価値が高まるということであったそうです。素材や品質といった指標はさておき,値段が高いということがブランドを求める人の選択指標になっています。庶民には手が届かないという付加価値が,買い手の所有欲を高揚させるようです。所有することに依るステイタスを得たい向きには,お手軽な選択です。
多くの人が働いています。生きるために働かざるを得ません。働き方改革が話題になっていますが,労働している時間と自分の時間の選択が曖昧な状況になっているのではと思われます。例えば,職人さんが新しい道具を使う練習をしている時間,調理師さんが諸国のメニューを学ぶ時間,技術者が学会に出席する時間など,これらは労働時間になるのかどうかです。先を見据えて進んで取り組む場合は労働ではなく,雇用主の指揮命令の下に強制的にしている場合は労働になるということです。実際には,訓練や修業という名目で賃金が支払われていないこともあり,労働とは見なされていないこともあるようです。
ところで,雇用関係がある場合にしか,労働はないのでしょうか? 例えば,家事です。雇用主もいないし,賃金の支払いもありません。個人的な活動です。自分の時間を自らの意志で家事に振り向けるという選択をしていることになります。ただ,誰からも強制されてはいませんが,自ら強制的にせざるを得ないという選択ですが?
自分に関する選択は自分で引き受けることになるのは,改めて断らなくてもよい当たり前のことです。しかし,自分の選択が他者に及ぶということもあります。例えば,ながらスマホがあります。歩きながらスマホ,運転しながらスマホが他者に危害を加える事例が起こっています。運転中であっても自分は今スマホを見るという選択をして,自分はそれで満たされています。ところが,その選択は他者には迷惑になります。歩道などで他者に気付かない自転車が,ぶつかりそうになると慌ててしまったという顔をして走り去っていきます。周りへの配慮というマナーの選択も,その及ぼす状況の重大さを考えた選択をすべきです。
コミュニケーションの場合にも,意識しているか否かはありますが,言葉を選択しています。例えば,企業のパワハラ研修で例示される不適切な言葉として,「会社を辞めてしまえ」「日本語も知らないのか」,セクハラ研修では「痩せてきれいになったんじゃない」「今日の服かわいいね。好みだな」が示されます。自分で選んだ言葉が,相手にはハラスメントになることがあります。ハラスメントになるかどうかは,話す自分が決めるのではなく,聞かされる相手が決めることなのです。相手のことについて語る場合には,自分の選択ではなく,受ける相手の選択が優先します。コミュニケーションは相手の選択が効いてくるということを知っておく必要があります。
何気ない自分の選択をする際に,ちょっとだけ選択が及ぼす範囲に配慮した方がいいようです。
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