家庭の窓
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ほぼボランティア的な組織に属して,その末端の運営の任に携わっていますが,このところ気になっていることがあります。全国組織が外部評価を気にして自己評価の体制を整備しようと動いています。当然に末端組織にまでその影響が及んでこようとしているので,関連する部局での協議の模様を伝える会議録に目を通しています。全国組織も任期のあるボランティアの集まりですが,各地の代表として真摯に協議をされています。その協議がじれったく感じられるのです。
○○する必要がある。○○に気を付けなければならない。○○についても考えた方がいい。・・・。それぞれもっともな意見が出ているのですが,要するにどうしたいのかが伝わってこないのです。その理由は具体的な全体像の提示がされていないので,各意見が居場所を持てずにふわついているからです。例えば,しっかりしないといけないと言っても,具体的にどうすればしっかりすることになるのかという実体を示さなかったら,何も始まらないのです。
組織活動ですから,活動の目標があります。その目標を達成するために必須の活動や事業の具体的行動・作業内容を精選し,全体の流れを取りあえずにでもいいから構築しておきます。その上で,個別の活動のつながりや順序や追加などを吟味していくことで,よりよいものに近づけていくことができます。実体的な全体イメージが提示されないと,部分的な提案を受け入れることができないので,協議がまとまらなくなります。
世の中評論家やコメンテーターがおられますが,情報社会の特徴でしょうか。社会は実体がなければ始まらないのですが,イメージでなんとかなっているのでしょうか。もの作りという活動が疎かになっていますが,作り出す営みが社会を動していることを忘れないようにすべきです。評論では始まらないのです。創造から始まります。
美味しい食事をするといっても,実際の食材を目の前にしていないと,実現することは不可能です。無い袖は振れないのです。今用意できる食材はこれだけです,そこから始まる協議をしてみせることが,組織のリーダーには求められます。実務を担うクリエーターがいないと,事は成らないのです。かつての協議を揶揄して総論賛成だが各論反対ということが言われていましたが,今は各論ばかりで総論不在となっているように見えます。
協議をする際に,原則論や理想論が部分的に飛び交うようになると,まとまらなくなります。その要因は際限が無くなるということです。言い出したらきりが無いのです。実際には妥協が必要です。どこを妥協するかということが協議すべきことになります。その整理ができるリーダーの登場を期待しています。全国組織の協議をまとめていくために,誰かが気付いてくれることを願うばかりです。
来年が皆様にとって幸せな年になりますようにお祈りします。
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