《喜びは 自分色の 文章に》

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 分からないことや知りたいことが出ると,パソコンで検索をすることができます。図書館に出かけていって,重たい百科事典や辞書をめくったり,関連のありそうなタイトルの書籍をパラパラと斜め読みしていた昔とは様変わりです。ネット上の情報の信頼度に注意をすれば,情報の仕入については,それなりに手軽で便利です。
 大学でレポートの提出が求められると,長い文章を論理的にまとめて,発表しなければなりません。そこで,課題になっている事柄の情報を集める際に,ウェブ検索で調べるということもできます。ネット上にはウィキペディアという無料の百科事典があります。そこには執筆者不詳の記述があります。「使える」と思われる文章を見つけるのは簡単です。コピペという手段で,自分のパソコン上での文章に任意の切り取り部分を張り込むことができます。引用ということを明示するのが必要なルールです。
 レポートや論文や文章発表で,他人の文章をコピペで貼り付けたものが大部分というものが出てきます。個々の文章という材料は人のものでも,新たにまとめ直したのは自分であり,盗作ではないという主張をしてきます。主張することを人の文章で語るというのは,盗作になります。拾ってきて,てにをはを整えて並べ替えるだけで,それなりのまとまった文章ができあがるので,何かを考えたという気分に浸ってしまうのでしょうが,手軽さの故に独自性という肝心なものが抜け落ちています。
 引用した部分の主張に対して,自分はこう主張するという対比や反論や補足といった自分なりの新たな主張をしなければなりません。いわゆる他人の主張の受け売りは自分の表現とはなりません。私はこう考えるという主張が生まれるためには,自分の頭を絞らなければなりません。その労苦があるからこそ,著作権という権利が付与されているのです。膨大な文章を集約してまとめてある百科事典は,論文ではないのです。
 素晴らしい文章は書けなくても,自分の言葉を紡いで,小さな主張をまとめていく頭の活動を楽しむ日日が続けばいいと願っています。

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(2019年02月24号:No.987)