《喜びは 無理な努力も した方が》

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 事件の報道に接して,大の大人がどうしてそのようなことをしでかしてしまうのか,ため息をついてしまいます。コカインを吸っていたというミュージシャンで俳優の人,晴れやかな人生の途上がポキッと折れてしまうような状況になっています。もちろんご当人の中では,そうなるべくしてなったという道筋があったのでしょう。人が歩む道筋は,運命のいたずらもありますが,自ら選ぶこともあります。いけない選択であることを知りながら,選んでしまうことは人としては避けなければなりません。
 20代から道に迷い込んでいたということですが,成人式を過ぎたら大人になっているはずです。世間的に名を知られて仕事の幅が広がっていくにつれて,関わる人の数も増えていきます。後ろめたいままでつながっていくと,迷惑を掛ける相手が膨大な数になることは容易に考えつくはずです。今までばれないで済んできたといううぬぼれが良識的判断を麻痺させていた,という下手な言い訳しかできません。
 虐待の事例も次々に明るみに出てきています。いたいけな子どもを大の男がいたぶるなどは,男として恥ずべき卑怯な所業です。このところの虐待の態様は,かつてのような破廉恥な大人の暴力がもたらす短絡的な虐待ではないようです。周りの大人が虐待にあっている子どもを見つけるきっかけは,身体に見られるあざや傷という外傷でした。今の仕打ちを聞いていると,寒い浴槽で冷水を浴びせるとか水風呂に入れるといった虐待です。身体を傷つけることを冷徹に避けています。カッとなって叩くというのではなく,冷酷にいたぶっているのです。地球は温暖化して気候がおかしくなっている一方で,人の気持ちは冷却化しておかしくなっているというのは,皮肉でしかありません。
 アポ電による強盗という新たな犯罪も現れてきています。オレオレ詐欺が行き詰まってきた中で,手口のごり押しに曲がっているのでしょう。そのような転回は御免こうむりたいのですが,用心することしかできません。他人を自らの欲望充足に利用してしまう身勝手さが世間に押し出されています。人を人と思わない風潮が強まっているのが怖いと感じます。
 個人的な事例を普通の状況とすることはできませんが,人の弱さや歪みの兆候として,自らへの警鐘とすることは可能です。古来,人の振り見て我が振り直せといわれています。人を見たら泥棒と思え,という言葉がありました。人の有り様は根本的には変わっていないのでしょうが,その規模や広がり,程度が今風になっています。個人による対応力の限度を越えているようです。より一層の用心,できることを心掛けていくしかないようです。

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(2019年03月17号:No.990)