《喜びは 時代の風の 穏やかさ》

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 お粗末な醜態を見せられるのは,終わりにしてほしいものです。総理と副総理の地盤を結ぶ道路の開発について,あえて忖度したという発言を自慢げに披露して,結局は職を辞することになった男がいます。選挙の応援にやってきたのですが,言うに憚れることを悪面もなく垂れ流すという不手際をしでかしました。昔であれば,応援演説はごく狭い地域に限定されており,聞く人も少なく,利益誘導を歓迎する人ばかりであったことでしょう。
 情報社会は情報を受け取ることが便利で多量であるということの裏返しとして,何気なく発信した情報の伝達が想定以上に広範囲で早いということです。そんなつもりではなかったという言い訳は,そんなに広がるとは思わなかった,限定した場での話のつもりであったという本音への後悔です。内緒話はできないのが情報社会なのです。皆のことを何でも知ることができるということは,自分のことを誰にでも知られるということなのです。お互い様なのです。知る人は知られる人です。
 それにしても,忖度することが国民に受け入れられることである,感謝されるべきことである,それができる自分は皆のためになる人間であるという認識を持っている人が未だに現役の議員になっているということが不思議です。この世界が新しい時代に転換するには時間が掛かるということで,道半ばということでしょうか? 旧い人が居残っている,そういう人を議員として推薦する選挙民がいるということでもあります。
 選挙をする立場にいると,立候補する人がそういう人しかいないという状況があるのかもしれません。さらにいえば,もしも状況を憂えているなら,余人に頼らず,自ら立候補すればいいという話にもなります。そこまでするつもりがないのなら,忖度する人を選ぶしかないということにしかなりません。
 但し,忖度する方が叩かれるという事例が続いていけば,風の向きが変わっていることに,気がついていくはずです。誰がといえば,選ばれる側も選ぶ側もです。そういう風が吹き続けることを期待したいものです。

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(2019年04月07号:No.993)