家庭の窓
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高齢者の交通事故がたびたび報道されて,心身の老いを自覚するようにという風が吹いています。歳を重ねるという変化は徐々に進むので,認識の不感知の中に埋もれています。久しぶりに会う人には老いが見えますが,それは変化の幅が積み上がっているからです。
話は変わりますが,高齢者が世間と関わりを持つ場として,介護という世界があります。そこでも,不都合な有り様が見受けられるようです。介護現場で,訪問ヘルパーの方々がハラスメントの被害を受けているというのです。
精神的な暴力として,攻撃的な態度で大声を出す,過大なサービスや提供できないサービスを強要する,人格や能力を否定する,脅迫的な発言をする,といったことがあります。
身体的な暴力は,殴る,蹴る,叩くなどの暴力,つばを吐く,コップを投げつける,物を壊すといったこと等です。
セクハラとしては,手を握ったり,抱きしめるなど不必要に身体を触る,性的発言を繰り返す,にやにやしながら胸や腰を見る,食事やデートに執拗に誘う,アダルトビデオを流すといったことがあります。
訪問という形態は二人っきりで向き合うということになりやすく,サービス業という関係でお客様という立場の乱用も重なっているようです。サービスを奉仕という古い認識で誤解している向きもあるでしょう。サービスの内容の不理解が起こっています。高齢であることに付随するはずの人間関係の熟練さを期待できないのは,悲しいことです。老いていけば暴君になるというのが自然であるとは思いたくありません。
老いるというのは,自らの生きる空間認識を狭めることになり,他者への気配りなどしなくなるということなのかと思わされます。人のことなど構う余裕がないということなのでしょうか。惚けるという先行きに向かっていくのが人の定めなのでしょうか。
令和にあやかって,和やかに生きていけることを願うことにします。
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