《楽しみは 支合わせの間に 生かされて》

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 明けましておめでとうございます
 皆様にとって 新しい年が素晴らしいものでありますように お祈りします。

 令和8年,午年になりました。目覚めて何かをして寝て,その一日をひたすら繰り返すと,一週間が過ぎ,もう日曜日。また日曜日。月が変わり,季節が変わって,衣装の移り変わりに追われていると,新年を迎えることになります。ざっくり振り返るとそれだけのことです。この振り返りは,時間に沿った節目を表現しているだけです。人が生きるということは,時間を追いかけているつもりで,実は時間に縛られている流れに過ぎないのでしょう。
 こうすればああなるはず。その成り行きは時間軸上での動きです。さらに,ある状況が時間の経過で別の状況に変わっていく,連続的なつながりになっています。そのつながりが予測できたりできなかったりします。ある人の生きている状況,人生というものは時間の上で変化していきます。その詳細な実像は一人一人の人によって違っています。
 時間軸の上で変化していても,生きている実態は一つの目標を目指しています。人として生きていく。年の初めに,振り返っておくことで,明日の道筋を見定めておくことにします。
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 人は人間として生きている。
 人間として生きるとは?
 人は間を纏っている。それは人と人の間に責任を負うということである。もし,間の先に意識する人がいなければ,間は消えて,人として孤立するばかりである。間に責任を負うとは,人と人の間である「つながり」を確保することである。
 もし,つながりが違っていると,それは「間違い」となる。つながりがないと,「間抜け」となる。互いの間の取り方が同じであると,つながりは「間に合う」となる。
 間合いを互いに確認するために,人は出会うと「挨拶」を交わす。「おはようございます」と声をかけると,「おはようございます」と同じ声が返ってきて,同じであることの理解が得られて,つながりが成立する。ただ,この段階では,つながりが存在するという了解に過ぎない。もし挨拶が交わされない場合は,つながりがないという確認であり,人間ではなく,単なる人でしかないことになる。
 間合いを求める意味は,間合いがもたらす機能に,生きていく上での必然性があるからである。人間という間を備えることで,人は生きていくことが可能になっているのである。間合いに備わる機能とは,間に合うという動詞にみられるように,相互依存,支え合う,助け合うという共生である。人が生きていくことは自己完結していなくて,お互いに補い合う,「間に合う」という他者からの関わりが必須である。
 その確認の形が,「どうぞ」,「ありがとう」,「どういたしまして」という言葉の交換である。ドウゾと手助けの働きかけを実践し,アリガトウと間に合ったことへの感謝をし,ドウイタシマシテと当たり前のことと認めることが,人間としての責任である。
 人が人間として生きている形,支え合う,それが支合わせである。支える人,支えられる人。人の間のつながりを保つ意志が,人間らしさである。その関係を保持できなくなるとき,人間であることができなくなり,行き着く先は「人でなし」となる。
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 年の初めの「今年一年の抱負」は,あまり考えたことはありません。元気でつつがなく日々を送っていく,普通に生き生かされている支合わせに感謝しつつ。

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(2026年01月04日:No.1345)