《楽しみは 言葉のつなぎ 銀と金》

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 ある講演会で,主催者として挨拶をする機会がありました。講演の趣旨につながる展開を意識して,導入を務めました。
 講演の副題は「地域のつながりは聴くことから」というものでした。参加者はそれぞれの役職を通じて,地域の福祉の維持向上に関わっておられる方々です。

 地域という場における人のつながりは,情報社会の広いつながりが進んでいる中で,逆に薄くなっています。福祉はどうしても直につながることが基本なので,手の届かない情報だけのつながりでは,間に合いません。そのような背景は,地域に住む人の安心安全にとって,望ましい方向ではありません。不幸な出来事が起こってしまったときに,「話していてくれたら,なんとかできたのに」という後悔の声が聞こえてきます。
 「しておけばよかった」という後悔をすることは,状況の改善につながります。どうすればいいのでしょう。「しておいてよかった」という対応の導入が必須なのです。「話してくれていたら」という状況を改善するためには,「話すことができてよかった」を実現すればいいのです。
 言い伝えられた言葉を,思い起こしておきましょう。「沈黙が金なり 雄弁は銀なり」と言われていました。雄弁,おしゃべりは日常生活の場では,銀製品と同じように有益です。一方,沈黙は,普段はあまり出番のない金のように,目立って役に立つことはありません。しかし,何らかの状況ではとても大きな価値あるものとなります。
 沈黙は口で話すことを控えることです。黙っていることで,伝わる大事なことがあると,金の意味を普通には解釈されます。金の価値はそんなものではありません。沈黙は耳を澄ますということなのです。自分の言葉を封じて,あなたの言葉を受け取りますという傾聴のサインです。いざというときの大事な言葉をしっかりと受け止める態度,「何かあれば言って」という開かれた金の瞬間になります。
 「言ってくれたら」という相手への要望だけに頼るのではなく,「言ってくれていい」という自分の開かれた姿勢を先に整備しておくべきです。その言葉を受け取るつもりの沈黙を,言葉を投げかけていいというメッセージとして伝えることが必要になります。なぜなら,沈黙は言葉の受け取り拒否というメッセージでもありうるからです。黙っている人には,話しかけていいのか,話しかけてはいけないのか,判断に迷います。
 普通の状況では,「大丈夫?」「なにかあるんじゃない?」といった言葉かけをすることで,沈黙が話したいことにつながります。誰もが気軽な発信のできる情報社会ではまさに雄弁だけがまかり通っているので,沈黙する一時は「聞くよ」というアピールを強くしないと受け取ってもらえないでしょう。それが,「相談窓口」という看板として,掲げられているのです。
 地域における人のつながりという場で,聞く沈黙と話す相談がつながるには,さらなる雰囲気の醸成が必要になります。内容の軽重は別として,言葉を交わすためにはお互いを信頼できる人と認める証が必要になります。地域では何かの役職という公的な保証を与えられている人がいて,人々の言葉を受け取っていただいています。そのような証がない人は,どうすればいいのでしょう。
 日々の暮らしぶりを共有することによって,温かな人間関係を築いていくことです。その最も基本的な行動,それは日常での挨拶をきちんと交わし続けることです。人として対等というメッセージである挨拶の言葉かけをすることです。たとえ,返礼がなくても,人として認めてさらに関心があるというメッセージを出し続けることです。その日常がいざというときに金の価値を発揮してくれます。
 ある方の経験です。ご近所ということで高齢の夫婦に道ですれ違う際に挨拶の言葉をかけるのですが,返事はありません。それでも挨拶をやめることはせずに,言葉かけを続けていました。ある日,高齢の夫が倒れ,妻は動転してうろたえるばかりでした。そのうち,いつも言葉をかけてくれている方を思い出して,駆け込んでいきました。救急の連絡が進み,無事に解決できたということです。
 ち・い・き=近くの いのちを 気にかけて,と読み解くと,気にかけているメッセージが日頃の何気ない挨拶によって可能になり,いざというときに,沈黙への言葉の投げ込みにつながって,金のつながりが生まれるのです。

 日常の雄弁である挨拶には銀の価値があり,いざというときに沈黙が言葉を受け取ることには金の価値がある,そのような言葉の展開を生かしていきたいものです。

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(2025年06月22日:No.1317)