*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【もう一つ足してみる?】


 イソップ寓話に「狐と鶴」のお話があります。狐が鶴を夕食に招待し,美味そうなスープを平らな石の皿に注いで出しました。鶴が飲もうとすると、スープは長い嘴からこぼれてしまいます。狐はというと、おいしそうにスープを飲んでいました。数日の後,鶴が狐に、今度は私がご馳走するからいらっしゃいと言って、狐の前に首の細長いつぼをおきました。狐は嘴がないのでそれを食べられません。鶴はつぼのなかに嘴を突っ込むと、ゆうゆうと肉(スープという話もある)を味わいました。
 この話は,狐が意地悪をして,鶴に仕返しをされたという教訓話と思われています。狐が「わざと」スープを皿に注いで出し,鶴も「わざと」壺に肉を入れて出したという設定です。落ち着いて考えると,狐は皿で食べるのが当たり前,鶴は壺で普段食べているはずです。どちらもいつもの通りの食べ方です。狐はついうっかりもてなしの心を忘れただけかもしれません。それを鶴は,狐はずるい動物だという先入観から,わざとしたのだろうと勘ぐって仕返しをしました。そう考えた鶴の方が遙かに意地悪をしたことになります。
 鶴は狐に対しては皿で出すという気配りを示すべきでした。そうすれば,狐は自分のしでかした失礼に気付くでしょう。小さな不都合に出会うとき,それを相手がわざとしたと邪推するから,ことはもつれていきます。仕(4)返しではなく,御(5)返しをする方が一つ上手のもてなしです。たとえ狐がわざとしたことであっても,鶴の大きな気持ちがあれば,丸く収まるでしょう。
 人を信頼できないことから,疑心暗鬼に入り,自分で自分を追い詰めていることがあります。疑っているから,相手も何となくそれを感じて,関係がぎごちなくなっていきます。悪い連鎖が増幅されていきます。流れを変えようとして相手を責める弱さが,人にはあります。そんな類の相談が持ち込まれることがあります。
 唯一可能なことは自分を変えることです。自分が変われば,人との関係は変わっていきます。もちろん関係改善のためには何らかの権力的働きかけが必要な特殊なケースもありますが,普段の関係は自分にできることをすれば,何となくいいように収まっていくものです。
(2007年04月26日)