*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【心の鏡を?】


 「人間の存在を決定するものは,人間そのものではなく人間関係である」。尾崎史郎のこの言葉を前提として,人の存在を保証するための概念が人権だと考えると,人権問題は人間関係の上に発生します。無人島で独り暮らしをしていると,人権問題は存在しません。人権を侵害するのもされるのも人なのです。人が社会という人間関係のネットワークの中で暮らしている以上,人権問題は避けることはできません。その社会が情報化と国際化の装いを帯びてくるにつれて,直接的な人間関係が見えづらくなり,いきおい人権問題は潜在化する傾向が現れています。ところで,人は人間関係に対してどのような意識を持っているのでしょう。
 人間関係は相対的なものなので,他者意識は自己意識と鏡像の関係になります。「見る姿は見られています」というCFがありますが,他者をどう思っているかは,自分がどう思われているかと重なります。そこで,自己意識の5段階評価を想定してみることにします。
 「1.いない方がいい人」。自分は嫌われている,避けられている,追い出されようとしていると思うと生きられなくなります。「2.いてもいなくてもいい人」。どうでもいいと思われていたら寂しくなります。街ですれ違う人と同じ程度の関係です。「3.いてもいい人」。余っている人のようで元気を失います。乗り物で隣り合わせて座っている程度の関係です。お互いに迷惑にならないように少しの気配りをする間柄です。地域で挨拶を交わすぐらいの関係でもありますが,つながっているという実感はあまりありません。
 「4.いなくてはならない人」。頼りにされてがんばることができます。仕事などを通して必要な人であろうとがんばって生きています。自分がいなくては皆が困ると自負することで生きがいを感じている人もいるかもしれません。しかし,その自負が他者に対して「誰のお陰で!」と押しつけがましくなると,いない方がいい人に格下げされます。さらに,期限切れなどで必要な人でなくなると,良くていてもいい人,悪くすればいない方がいい人に転落します。社会と何らかの役割でつながっていないと不安になるのは,この種の転落を恐れているからです。
 「5.いて欲しい人」。頼りにならなくても,そばにいてくれるだけでいい人。ふっと横を向けば笑顔で応えてくれる人。顔を見るとほっとする人。そう思われていると信じることができるなら,その存在はとても確かなものでしょう。逆に言えば,そういう人が周りにいてくれたら,人間とはいいものと思うことができます。
 人権問題の解消に向けて啓発が行われていますが,その核心は人間関係を通して自らの心の鏡を磨くことです。人間関係を自己チェックする簡単な方法は,「自分だったら今の自分と友人としてつきあいたいと思うかどうか」と考えてみることです。心の鏡は嘘がつけないからです。
 仏像の目は半眼になっています。目を開けば外の世界に意識が向きます。目を閉じれば内の世界に意識が向きます。半眼にすることで,内と外にバランス良く意識を保つことができるということです。自他の関係をより良いものにしようという教えなのです。
(2008年02月08日)