*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【間にあるもの?】


 親子は血縁関係です。親の血液が子どもに流れているのでしょうか? 母親がへその緒を通じて栄養を胎児に与えるとき,血液型が違ったら凝固するのではと心配になったことはありませんか? 母親の血液が胎児の体内に直接流れ込むことはありません。へその緒を通して血液が直接に行き来することもありません。栄養の伝達は胎盤を通して行われています。胎盤が栄養の積み替えターミナルになっているので,母親と胎児の血液は共に胎盤でUターンしています。
 数学の記号で,例えば2.5といった小数を表すときの1位の後ろに打つ点を小数点といいます。では,1/2といった分数を表すときの分子と分母の間に引かれる線は何と呼ぶのでしょうか? ほとんどの方がアレッと思われます。そういえば何ていうのかな? 習ったことがあるのかな? 「括線」といいます。弧で括るから括弧というように,分母と分子の数字を線で括っているという意味です。
 私たちは,境界にあるものをなんとなく見過ごしにしていることがあります。男と女? おとこ,おんな? 万葉の昔,「おつ」という言葉があり,「変若」(一字です)と表記され,復とも書かれていました。復元されて若返る,再生するという意味です。人間については,子どもを産める,子どもをつくる機能があるということを表そうとして,「おとこ,おとめ」という言葉ができました。共通している「おと」は「おつ」を語源としています。再生する,つまり生殖能力のある人間がオトコでありオトメであったのです。やがて年を取るとともに人は生殖能力を失います。オトコではなくなると「おきな」,オトメではなくなると「おみな」と呼ばれるようになります。この「おみな」が訛って「おんな」になりました。男女の境界には再生への願いが共に込められていたのです。
 ガタピシという言葉があります。建て付けが悪いことを表すということですが,我他彼此と書きます。我と他者,彼岸(あの世)と此岸(この世)の間にはとかく何かと不都合なことが生じて円滑に運ばないという人の弱さへの洞察が込められています。その人の間に起こる問題を回避するために,先人は共に堅守する「徳」という願いを境界に設置してきました。
 人と人のつきあいは,直接に関わり合うのではなく,徳という名の胎盤を通して行われていると考えることができます。お互いの権利がぶつかると,そこでは軋みが生じます。そうならないように,徳という相手と自分の立場を共に尊重する理念の中で交歓が行われるように世間は構築されています。権利には義務が優先すると考えて,その義務を支えているのが徳という概念です。この構造を背景として,我が協議会では活動目標とする宣言文の中に「思いやりの心」を掲げているのです。
(2008年04月16日)