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【縁は異なもの?】
「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」(稲垣栄洋著・草思社)という本に,その表題の疑問に対する論考があります。モンシロチョウはアブラナ科の植物に卵を産み付ける習性があるそうです。幼虫である青虫が食べるのが,アブラナやキャベツといったアブラナ科の植物に限られているためです。モンシロチョウは葉から葉にとまり渡りながら,足の先端で葉から出ているカラシ油配糖体を目印としてアブラナ科の植物を探しています。さらに,一つの葉には一粒の卵を産み付けて,餌の葉が不足することを避けています。ヒラヒラと葉から葉へ舞って遊んでいるようでいて,実は真剣なのです。
昆虫は植物を食べます。餌となる植物は,食べられてはたまりません。そこで,有毒物質を体内に用意して,防御策をとります。昆虫はその有毒物質を無毒化する対策を発達させます。たまたまそれに成功した虫は,その植物を餌にすることができます。しかし,他の植物の毒は危険なので,特定の植物しか食べないという用心をします。アブラナ科の植物が出すカラシ油配糖体は元々毒性物質なのですが,モンシロチョウにとっては餌になるという目印になってしまっています。結果として,モンシロチョウはアブラナ科の植物しか食べられなくなります。このモンシロチョウの強い依存状態は,かろうじて生きているというぎりぎりの選択です。生きるというのは,壮絶な争いです。
この植物と青虫の関係に,人が割り込んでいくと,青虫を害虫として駆除します。虫食いの作物を避けるためです。モンシロチョウは次世代を失って,激減します。モンシロチョウが果たしていた受粉という支援を植物は受けられなくなって,やがて共倒れになります。人は自らの環境を有効利用という単純な名分の下で微妙な生態系のバランスを壊しています。人が生きる権利だけを考えていては,居場所を失うことになります。
他者との関係は,辛い部分もありますが,だからといって全面忌避をすれば,自らの存在を脅かしかねないほどのしっぺ返しを受けることがあり得ます。関係は網の目のように張り巡らされており,1箇所を無造作に切断すると,そのほころびは伝染していきます。持ちつ持たれつのお互い様であるということが,生きる上で必須である他との関係を維持する原則となります。人が自然と共存することを願うのなら,虫食いの作物を食べる優しさが必要になるということでしょう。
(2009年05月26日)
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