*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【決めるのは自分?】


 和食は,天ぷらや刺身,煮物や焼き物といった料理が一度に目の前に並べられます。一方,洋食のフルコースでは,スープ,オードブル,魚料理,肉料理,デザートと単品毎に順序よく出されます。食べ方の違いというか,料理する人の思いの違いが現れています。西洋料理は調理人が皿に盛りつけたときに味が決まっていますし,味の順序も決まっています。和食は,味の薄いものからといった作法もありますが,どの順番で食べるかは食べる方の自由です。さらに,ご飯と煮物を口に入れたり,ご飯とお椀を口に入れたり,その量を加減したりと,口の中でいろんな味を調合することができます。これを口中調味というそうです。一つ一つの料理を食べきっていく西洋人には丼物といった食べ方を不思議に思う人もいるようです。
 また,和食ではテーブルに調味料も並んでいるので,味の調合も食べる人に任されています。手塩という言葉があります。食膳に添えられた少量の塩で,食べる人が味加減を整えるために使われていました。貴重品であった塩を子どもに分けていたことから,手塩に掛けて育てるという言い方が生まれたそうです。
 このように自分の気に入った味付けにすることができる食べ方は,味を決めているのは自分であると思うことを可能にします。料理をする人に信頼を置けば,勧められる食べ方を受け入れることもできますが,そうでなければ食べ方まで指示されると気分を害することになります。言われたくないということです。  自分のことは自分が決める,それは人権の重要な要素です。指図されると従属関係になります。対等とは自由であることであり,具体的には自己決定権を行使できるということです。ところで,仕事上の指示系統や個人的な尊敬がある場合には,指図を受け入れることを決めるということになります。この部分の認識が曖昧になるとき,決定権に対する侵害が発生します。指図する方は聞き入れるべきであると思い,指図される方はそこまでは受け入れられないと決断します。
 相手の領域にどこまで踏み込めるか,それは当事者間の信頼の度合いに依ります。例えば,委員が行う助言や啓発を受け入れるかどうかは相手が決めることであり,その一線を守るもどかしさが人権を守る上では必須のことになります。信頼される関係を作ることが委員に求められています。

(2009年09月22日)