*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【何を思おうと自由?】


 歌舞伎の花道は,舞台に向かって左手,下手にあります。左手になければならない訳がありました。登場人物が武士です。敵役が刀の柄に手をかけながら花道から登場します。主役も舞台で右を向きながら刀の柄に手をかけて待ち受けます。観客は,刀が抜かれる瞬間を見届けようと集中します。もし花道が舞台に向かって右手にあれば,主役は左を向くことになり,左の腰の刀が陰に入って,観客からは見えなくなります。
 昔,歌舞伎役者は河原乞食と呼ばれていて,士農工商の下の地位でした。歌舞伎の人気が高まってくると社会的地位も向上し,幕府は良民身分と認定するようになり,役者も表通りに居を構えるようになりました。ところで,表通りの家は商家と相場が決まっていました。そこで,役者は菓子屋,小間物屋などをはじめて,商店となり,商家の仕来りにしたがって屋号で呼び合うようになりました。歌舞伎役者が屋号で呼ばれているいきさつです。
 照明設備のなかった江戸時代,歌舞伎は日没前に終演していました。長い出し物は早朝開演となり,役者や裏方が顔を合わせるのは朝方になります。当然のこととして,挨拶は「おはようございます」となります。夜も上演できるようになり,芸能の種類も増えてきましたが,「おはようございます」の挨拶は伝統として残ったそうです。
 この話には追加もあります。世間では,昼の挨拶は「こんにちは」,夜は「こんばんは」ですが,芸能界のような厳しい縦社会では,先輩である人に「こんにちは」と対等な言い方はためらわれます。「おはようございます」だけが,唯一丁寧な言い方です。そこで,芸能界では昼でも夜でも夜中でも,「おはようございます」と挨拶するようになったというのです。
 世間の端々には暗黙の了解による約束事があります。先人が何を了解してきたのか,それは他者によかれと願う思いです。その心根を受け継げば心穏やかで誠実な暮らしが待っています。その良き思いは意図して伝えていかなければ,廃れていきます。
 人は自分によかれという思いに取り付かれ,他に悪かれと思うことがあります。ローマ法起源の格言として「誰も思考のかどで罰を受けることはない」というものがあります。何を思っても自由であるというのは,人権の一つです。たとえ悪しき思いであっても,それ自体を咎めることはできないということです。具体的な行動になれば罰が発動するので,かろうじて封じ込めることはできます。悪しき思いを持たないようにするためには,良き思いで上書きするしかありません。それが啓発をするということです。
(2009年08月20日)