*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【子どもを持つ必要は?】


 「二の句が継げない」という言い回しがあります。二の句って何でしょう。平安時代に雅楽の朗詠が流行りました。朗詠は詩句を三段に分けて歌います。一段目は一の句で低音域,二段目は二の句で高音域,三段目は三の句で中音域になっています。二の句から歌い始めた人は高い音を出し続けなければなりません。二の句を続けるのは難しいという言い回しができて,二の句が継げないとなって,声を出せない状態を表すようになりました。はじめは驚いたとき,呆れたときに使われていましたが,次第にやり込められたことを指すようになったということです。
 「二の舞」という言葉もあります。奈良時代に伎楽という仮面劇が流行りました。安摩という舞いがあり,蔵面というのっぺらぼうの仮面をつけてしゃくを持った二人の舞人が優雅に舞います。その舞いが終わる寸前に二の舞が始まり,笑った顔の老翁と病の顔の老婆が前の舞いを真似るのですが,上手く舞えずに笑いをかいます。人の真似をして失敗することを二の舞と言っていましたが,伎楽が消えていき安摩の舞いも忘れられて,言葉だけが残り,意味も前の者の失敗を繰り返すことに変わってしまったのです。
 平成21年10月に内閣府が「男女共同参画社会に関する意識調査」を行っています。その中に結婚観に関する「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」という考え方に対して賛否を問う設問があります。賛成の割合は全体で42.8%ですが,女性では46.5%,さらに20代では63.0%,30代では59.0%となっています。若い方の6割が必ずしも子どもを持つ必要はないと考えているとは二の句が継げない思いです。
 ところで,さらに気になることがありました。結果ではなくて,「子どもを持つ必要はない」という設問文です。子どもを持つという言い方はいいとして,必要はないという言い方です。必要であるとかないということで考えられているとしたら,子どもはどう思うだろうかと情けなくなります。
 子どもが欲しい,産みたい,育てたい,そのような無条件の願いが成熟した人の思いであったはずですが,いつの間にか若い世代の子ども観が二の舞を演じているような気がします。
 意識が変わるから言葉が変わっていくようですが,言葉の使い方に気をつけないと,意識の変化が妙な方向に誘導されていくこともあり得ます。考える道具は言葉です。いい加減な言葉を使っていると,考え方に齟齬が生じます。
 子どもの人権を考えるとき,結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないという考え方が指示されている現実を前提にしなければならないようです。その先には,子どもを持っても必ずしも家庭を持つ必要はないという考え方が付随しているのかもしれません。社会は進歩していると言えるのか,判断に窮しています。
(2010年01月23日)