*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【第三者の耳は二つ?】


 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。スポーツの世界でよく聞く言葉です。少し考えて言い換えてみると,健全な肉体でなければ健全な精神は宿らないということになります。病弱な方には傷つく言葉になります。古代ローマの詩人ユウェナリスの詩から採ったものと言われていますが,詩では,「賢者が神様に願うのは,健全なる身体の中に健全なる心」となっています。心身両方の健康を願う言葉でした。この詩を翻訳した人が誤訳をして,その言葉が広まってしまったということです。スポーツを推奨する上ではとても効力があるということで,引き合いに出されているのでしょうが,我田引水に過ぎているようです。そのようなつもりではないのでしょうが,思惑を誇張する言葉遣いには気をつけた方がよいようです。
 幕末に黒船が来港して開国しましたが,黒船は植民地や貿易の利益を求めてのことと思われているかもしれません。当時,金華山沖はジャパングラウンドと呼ばれて,マッコウクジラの漁場でした。 欧米の国々は日本沿岸を含み世界中の海で,「捕鯨」を盛んに行なっていました。それは,産業革命によって,夜間も稼動を続ける工場やオフィスのランプの灯火として,主にマッコウクジラの鯨油を使用していたからです。太平洋で盛んに捕鯨を操業していたアメリカは,太平洋での航海・捕鯨の拠点(薪、水、食料の補給点)の必要に迫られていたことから,黒船の来港になったのです。アメリカの思惑と日本の思惑は当初の時点で多少ずれていたことになります。
 交渉事というのは当初の思惑に止まらずに,その後の展開によって思わない方向に動いていきます。結果として良い方向に進めばいいのですが,もつれてしまうこともあります。疑心暗鬼になると,裏読みをして,狐と狸の化かし合いになります。当事者同士には,交錯した問題を解きほぐすことは難しいでしょう。
 古代アテネでは,市民が民衆裁判に参加するとき,「私は原告(訴追者)・被告(被告人)の両者の主張に公平に耳を傾けます」という内容の宣誓をしたそうです。やがて,「もう一方の側も聴かれるよう」という格言に整えられました。日本にも,「一方聞いて沙汰なし」,「片言訟を断ずべからず」という言葉があります。この格言は訴訟の三極構造を表現するものです。訴訟では,判定者が両当事者の言い分を聞いて決断を下します。もう一方の側の主張があってこそ,判定者に正しい理解が生まれるという考え方です。
 相談を受けるときには,どうしても片方の主張だけになります。もう一方の主張がないままでは,双方の思惑の対立点が見えにくく,理解に困難が生じます。相談を受けるときには,適正な判定ができる立場にはないということを肝に銘じておく必要があり,意識的に中立公正を保つ努力が求められます。もちろん,救済の段階に進めば,両方の主張を聴き取ることになります。

(2010年02月13日)