*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

 

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【故きを温ねて?】


 人間(じんかん)至る所に青山あり。人間はどこに行っても骨を埋める場所(青山=せいざん=墓地)はあるから志を持って郷里を出ていくべきであるということわざです。ところが,おめでたい門出の席で励ましとして使われる間違いがされます。
 他山の石。他の山でとれるつまらない石でも玉を磨くための石として役に立つということわざです。ところが,尊敬する方を見習いたいという意味で使う間違いがされます。
 月に叢雲花に風。折角の名月に雲がかかり,満開の桜に風が吹き付けるというめでたさに水を差すということわざです。ところが,梅に鶯のような言葉と同じと錯覚をして,お祝いに使う間違いがされます。
 使う場を間違えると,とんでもない失礼なことになります。人前で語ることが多いので,よくよく気をつけることです。
 蛙の子は蛙。子どもは親に似るものだから,親は過ぎた期待はしない方がいいということわざです。ところが,よそのお子様をほめるときに使う間違いがされます。
 娘十八番茶も出花。元は鬼も十八番茶も出花といいます。鬼の娘でも娘盛りには見栄えがするし,摘み残しのお茶でも入れ立ては美味しいということわざです。ところが,よその娘さんをほめるときに使う間違いがされます。
 枯れ木も山の賑わい。つまらないものでも無いよりはましということわざです。ところが,参列してくださった方へのお礼に使う間違いがされます。
 いずれも自分に向けて謙遜する場合に引き出してくることわざなので,人様に向けて使ってしまうと意味は逆転して侮蔑に変わります。言葉の使い方を間違えるのは,謙遜するという自分に対する言葉遣いが廃れて,他者を持ち上げておけばよいという意識が強くなっているためなのかもしれません。
 ことわざは,自分の生き方に対する知恵であり,他者に向けるものではありません。言葉の乱れの一面として,自分との対話が弱まっていることもありそうです。言葉の最も基本的な作法は,誰に向かって言葉を向けるかということです。言葉遣いを注意するとき,「誰に向かっていっているのか」というのが普通ですが,その誰の中に自分も含まれるはずです。
 情けは人のためならず。情けをかけておけば、巡り巡って自分によい報いがやってくるということわざです。ところが,困っている人がいても情けをかけて手助けをするとその人のためにはならないという間違った使い方がされます。人のことには関わりたくないという身勝手の口実になっています。本来の意味も見返りがあるという点で身勝手ではあるのですが,先ずは自分から情けをかける関係に入ろうとすることが救いとなっています。
 相談される方の目的は,「どうすればいいのか教えて欲しい」と「手助けをして欲しい」の二つに分けることができます。できることは何かが分かれば,相談者自ら解決に動き出すことができます。解決の道筋を助言することで,一応のけりが付けられます。一方で,自分でできることはした上で行き詰まると,手助けを求めてくることになります。内容によって専門的な手助けのできる管掌機関があれば,そちらに誘導することになります。それがない場合,相談を受ける側に課されている気軽に手助けを引き受けることができないという歯止めは,時として情けないことになります。情けは人のためならず?
(2010年08月15日)