*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

 

人権メモの目次に戻ります

【歌は世に連れ?】


 ロダンの有名な彫刻である「考える人」は,一体何を考えているのだろうと思ったことはありませんか? ダンテの神曲を題材とした「地獄の門」という作品群の一部として彫られたものです。考える人は地獄に堕ちていく人々の様子を上から覗き込んで苦悩しているのだそうです。ロダンは「詩想を練るダンテ」とタイトルを付けるつもりでしたが,発表時には「詩人」に変えました。ところが,この青銅像を鋳造したリュディエが事情を知らないままに勝手に「考える人」と命名してしまいました。芸術作品に込められた意味合いは作者の手を離れて鑑賞する側に任される自由がありますが,かといって制作の意図が全く無視されていいというわけでもありません。「詩人」と改めるべきか,「考える人」のままでいいのか?
 ハッピー・バースデー・ツー・ユー。原曲は一八九三年アメリカで出版された「幼稚園の歌物語」に掲載の「グッドモーニング・ツー・オール」(みなさん,おはようございます)です。幼稚園で朝に子どもたちを迎えるときの歌でした。ところが,一九二四年,ある出版社が無断で歌詞を変更して出版しました。それが,「ハッピー・バースデー・ツー・ユー」です。ブロードウェイのミュージカルにも使われ一挙に知られるようになりました。作詞作曲した姉妹が盗作だとして訴訟を起こし認められました。お祝いの歌として広まっていますが,盗作だったのです。
 私たちの身の回りにあるものはすべて,誰かが創作したり発見したものです。箸を作った人がいます。なまこを最初に食べた人がいます。毒キノコにあたった人がいます。さまざまな概念や言葉も創造した人がいます。人権という概念も誰かが創造したはずです。多くの人がそれはいいものであると認めるとき,受け継がれ広まっていきます。ところが,その途上で使う人の思惑が働き意図的あるいは無意図的に改変がなされます。よりよいものになればめでたいことですが,時にはそうではないえせものもできてしまいます。
 えせという言葉は似非という当て字で表記されますが,平安時代には実体の淺薄・劣悪なものを侮りそしる気持ちを表して,室町時代以降,悪質・邪悪の意を表すのにも使われるようになったそうです。似非歌,似非親といった語が広辞苑に載っています。さしずめ子どもを虐待する親は似非親と呼ばれそうですが,短兵急な判断はできない難しさがあります。
 人権擁護の活動では,えせ同和という言葉で表される負の社会事象を排除することが大事な活動となっています。個性化という風潮の中で個人の権利を尊重することが行き渡ってきましたが,時として想定外の権利の主張が現れています。二〇〇七年辺りから,モンスターペアレンツやモンスターペイシェントの存在が取り上げられるようになりました。個人的な思惑に安易に冠せられる人権は,えせ人権と言えるでしょう。人権に関わる者として,人権とはそもそもどういうものであったのか,何を目指して生まれた概念なのか,想起し啓発していく役割があります。

(2010年09月12日)