*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

 

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【誰のせい?】


 うっかり手を滑らせて,モノを落とすことがあります。その報告をするとき,「壊した」と言いますか,それとも,「壊れた」と言いますか。子どもは,壊れたと言ってきます。大人は分かっていますから,「モノが自分で壊れるはずはないでしょう,どうしたの?」と問い詰めることになります。物事は勝手に起こるのではなく,関わりの中で起こります。話を聞くときは,自然な成り行きであるかどうかを見極めることが大切です。唐突に始まる話は,話し手の都合に合わせた脚色が入るので,眉唾物です。
 人と獣が身近に暮らしていた昔,人はキツネやタヌキに化かされることがありました。この獣たちは,人の眉毛の本数を数えることで,人の力量や値打ちを評価し,人の心を推察する能力を持っていると信じられていました。そこで,人は見透かされない対抗策として,眉毛に唾を付けて本数を誤魔化そうとしました。怪しいものに出会うと化かされないように,眉毛に唾を付けるまじないが定着していきました。やがて,信用できないモノを眉唾物というようになりました。
 ヘルマン・ヘッセが「現代の人間は,ことがうまく運ばなくなると,いつでもその罪を他人に求めるといういまわしい技術を身につけてしまった」と語ります。ニーチェが見たように人は絶対的存在を無くしたことから,自分を相対化できなくなったことが発端です。最近,ムシャクシャするからと他者である世間に八つ当たりするような所業が増えているような気がします。子どもたちの身近な世界で起こっている虐待やいじめも,自然な成り行きとは相容れない理不尽な所業です。人はお互い様の存在であるという社会認識が薄れているようです。
(2010年11月10日)