*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

 

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【見られたくない?】


 上野公園にある西郷隆盛像は,高村光雲による作品です。その姿はウサギ狩りに行くときのものだそうです。当時はまだ時の人として政治家で軍人である西郷のイメージが強かったと思われるのに,どうしてウサギ狩りの姿なのでしょう。
 実は,高村光雲は,陸軍大将の正装で銅像の原型を作りました。しかし,重臣の一人が「賊軍の大将が陸軍大将の正装ではおだやかではない」と異議を唱えました。官を退いて無官の人になったときの姿ならよいということで,西郷が好んでいたウサギ狩りの姿が選ばれました。
 除幕式の際に,西郷夫人は不服だったそうです。西郷さんは家にいるときでも服装にやかましく,あぐらをかいたり寝そべったりしたことのない人で,くだけた姿で像になるのは心苦しいと思うのではということです。
 人には他人に見られたくない姿があります。「プライベートの姿を覗かれるのはおだやかではない」という異議が申し立てられるのではないでしょうか?
 学校の音楽室の壁には,有名な音楽家たちの肖像画が飾られていました。バッハ,ハイドン,モーツァルト,ベートーベンなどの肖像を思い出すと,ベートーベンだけがボサボサのロングヘアーです。ほかの人はカールしたヘアスタイルですが,当時の王侯貴族に合わせてカツラをかぶっていたからです。当時の音楽家は王侯貴族をパトロンとして生活していたので,宮廷サロンでの正装スタイルで肖像画を描かせたのです。
 ところが,ベートーベンはパトロンを持たず独立した音楽家として自立する道を歩んでいました。宮廷スタイルになる必要がなかったために,あの通りの肖像画になりました。
 見られたい姿がある人とありのままでいい人といるということです。

 天知る、地知る、我知る、人知るという後漢書の言葉があります。意味は,誰も知らないと思っていても、天と地と自分自身と、あなたも知っている,悪事は、いつかは必ず露見するものであるということです。普通には言葉の逸話に沿って悪事にだけ使われますが,人に疑われたり,あらぬ噂を立てられたりしたとき,潔白はいずれ明らかになるということも言えるでしょう。さらには,この四知は善事にも当てはめることができます。
 良くも悪くも人の姿はあからさまに知られるものであるなら,見た目の姿形にとらわれたり取り繕ったりせずに,真っ直ぐな心の姿を堂々と見せておけばいいでしょう。常に見られても構わないという姿勢でいるしかありません。そうは言っても,「化粧して 来ればよかった 人に会い」という川柳もあるのが,憂き世です。
(2010年12月03日)