*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

 

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【和の国で?】


 和という政事目標を言い出したのは,聖徳太子です。太子が律令制度を始めようとして,日本の実状を眺めたとき,大きな問題に直面しました。当時の日本のあらゆる文化の担い手が,すべて日本人ではないということでした。日本に漢字を伝え,仏教を伝え,医学を伝え,仏像の技術,建築の技術,織物の技術を持ち込み,文化の息吹をもたらしたのは,中国からの,あるいは朝鮮半島から来た帰化人でした。
 こうした帰化人たちといっしょにうまくやっていかなければ,日本は成り立たないという難問に突き当たり,最良の指針を見いだしました。それが「和」という言葉の新しいイメージでした。
 「和をもって貴しとなす」の「和」とは,仲良くいっしょにやっていこうという単純なものではなく,全く違っている人間が集まり,違ったまま渾然一体となって,一つの響きを醸し出すといった壮大な哲学的目標でした。そこでは,当然のこととして,違っている人間がお互いの人権を尊重するという要件が満たされているはずです。
 「ばちがあたる」「もったいない」「ありがたい」という言葉があります。年配の人でも,知ってはいるが,普段意識したことはないという言葉でしょう。
 ただ,もったいないという言葉は,環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性,ワンガリ・マータイさんによって再評価されました。2005年の来日の際に感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。
    環境 3R + Respect = もったいない
    Reduce(ゴミ削減),Reuse(再利用),Recycle(再資源化)
という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく,かけがえのない地球資源に対する Respect(尊敬の念)が込められている言葉であるとして,マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。
 「ばちがあたる」は,怨霊に対するおそれを意味した言葉であり,神道を表しています。「もったいない」は,勤倹節約を旨とする儒教をたった一言で言い表しています。「ありがたい」は,仏の加護に感謝する仏教そのものと言えるでしょう。このように誰にでも分かるやさしい言葉を使いながら,多宗教混淆文化を受け継いできたのも,和の一環と見ることができます。
 違いにこだわれば争いになります。違いを越えて和に向かう伝統を再構築することもいいかもしれません。
(2011年08月10日)