*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【合理的連鎖?】


 風が吹けば桶屋が儲かるという日本のことわざがあります。
つまり、
 1.大風が吹くと,土ぼこりが立つ
 2.土ぼこりが目に入って,盲人が増える
 3.盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
 4.三味線に使う猫皮が必要になり,ネコが殺される
 5.ネコが減れば,ネズミが増える
 6.ネズミは桶を囓る
 7.桶の需要が増える
 8.桶屋が儲かる
 このように,ある事象が発生することによって,一見すると全く無関係に見える所・物事に影響が及ぶという例えです。現代では,その論証に用いられる例が突飛であるために,「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たこじつけの理論・言いぐさ」を指す場合も多いようです。
 「桶」が水汲みなどに用いるものではなかったということから,
  風が吹く→地面の砂埃が舞う
 →砂埃が目に入って目を悪くしたり目が見えない人が増える
 →目が見えない人が増えるので三味線弾きが増える
 →三味線が売れるので野良猫が捕らえられ,減る
 →野良猫が減るので鼠が増える
 →鼠が増えて家の柱ががかじられる
 →家が傾き,屋根から瓦が落ちる
 →屋根から落ちた瓦に当たって亡くなる人が急増
 →亡くなる人が増えて棺桶の需要が高まる
 →桶屋が儲かる
という流れもあります。
 現実的には,風が吹くと空気が乾燥して桶に使われている木が乾いて収縮するために,たがが外れてしまい使い物にならなくなってしまうので桶屋が儲かる,ということのようですが,それでは面白くありません。
 この因果関係を面白がっているだけではなく,考えてみましょう。人とのトラブルや何らかの法的な事件で責任を負わされる立場に追い込まれたとき,そこまで深く責任を追及されるのはあんまりだという場合があります。日常生活では,因果の関連を二つ三つとつないでいくと,カドが立ち,常識によって適当なところで因果の連鎖を断ってしまわないと,おかしなことになりかねません。しかし,法の世界では,原因を作った側として最終的に責任を問われかねません。
 犬が吠えかかってきたので避けた人が,通りかかった自転車にぶつかって,自転車に乗っていた人が地面に倒れ込んで,ちょうど通り過ぎようとした車に轢かれてしまったという事故を想定すると,犬の飼い主の責任は,どこまで及ぶのでしょうか?
 刑事事件の場合には,刑罰に関する事柄は制限されるべきであるという原則があって,因果を追いかけていくのは制限があるそうです。ところが,民事の場合には金銭で決着を付ける場合が多いので,その金が十分に出せるところまでさかのぼっていくことになるようです。伸びきった因果の鎖は社会的正義等の見地によって補強されます。
 いじめる側にも責任があるとか,言うことを聞かないから体罰や虐待に及んだとか,人権侵害が起こったときに,その原因を遡ってみせることによって,責任を幾分かでも転嫁しようとすることが起こりえます。その果てが「社会が悪い」という物言いです。自分の不始末は社会のせいである,それが無責任な物言いであることは明らかです。

(2012年02月26日)