*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【委員研修?】


 人権擁護委員協議会の総会で,議事の後,委員研修を目的にパネル討論会を行いました。その概要をまとめておきます。意見の記述は聞き取りのメモですので,発表者の発言内容とはズレがあることをお断りしておきます。

 まず,県連会長による基調提案をしていただきました。


 人権擁護委員法を紐解くと,第1条の目的,第2条の使命,第11条の職務,第12,13条の服務などが規定されている。この人権擁護委員として求められている姿が,想定内であるか想定外であるか,自らに問い直す確認作業が必要である。人権擁護委員は法律に基づき法務大臣が委嘱する国の委員である。国民への人権擁護委員の紹介では,人権を擁護するために,啓発・相談・救済の活動を行っているとされている。これは,国民にとっての人権擁護委員は何をしてくれる人かという説明になっている。
 ところで,地方分権推進法により,国の活動を地方に移管するという動きの中で,人権啓発は地方で活発に推進されるようになり,相談事業も,その事業を支える相談員の養成も行われている。自前の体制ができている上に,国の人権擁護委員による啓発が重複するものに過ぎないのであれば,必要性が薄れてきている。人権擁護委員による活動の存在感を高めることが必至である。
 そこで,啓発・相談・救済の三本柱について,人権擁護委員のなすべきポイントをいくつか挙げておきたい。
 先ず,「啓発」であるが,例えば,いじめの判断方法,具体像を意識して提示するようにすれば,加害と被害の両方が理解できるようになる。一方で,世間の不十分な人権理解,間違った人権理解を正していくことも人権擁護委員ならではの活動となる。例えば,人権は国内問題であるという捉え方があるが,現在では国際問題であるという認識が求められている。あるいは,人権はモラルであるといった認識も根強くあるが,人権は法制度であると考えなければ現状に対応できなくなっている。
 「相談」については,3つの留意点を挙げておきたい。第1点は,メンタルケアという配慮である。相談者にとって,相談することが負担であるという当事者感覚を持たなければ,寄り添うことはできない。被害を語りたくないという心情を受け入れることから,相談は始まるのである。第2点は,侵害の判断に際して,主観の客観化という手続きが不可欠であるということである。例えば,ハンセン病に関するアンケートの中で療養所に対する印象を天国と答える人と地獄と答える人が半々であったという結果がある。同じものに対して,正反対のイメージを持つ人がいるということは,事実の認識を一方に決めつけることはできないことになる。その曖昧さを抜け出すためには,認識の違いを生み出す理由を客観的に捉えて,感情表現を翻訳しなければならない。第3点は,社会に対して救済を代弁することである。相談を受けて,聞きっぱなしにしないことである。相談があるということから見える社会の不備を明らかにする責務を自覚する必要がある。アピールとしての力を持つ前提として,例えば,相談体制の現状を調査する活動などが想定できる。さらには,自治体やNPOとの連携のために,既存のネットワークの充実や相互理解の進展を図る交流が期待される。
 「救済」については,根本的な転回が迫られている。従来からの救済は,人権侵害という違法行為に対して,相手方を処罰・制裁するものという認識であった。ところが,外国では,鉄道事故や航空機事故の際に,関係者を処罰するという従来の対処をせずに,正直な証言を引き出し事故の再発を防止するために生かすという動きに変わっている。すなわち,してはいけないことやあってはいけないことが起こったとき,厳しく正邪を区別するのではなく,共通の理解を図ることを志向する理解促進型に対処法が転回している。救済活動に付随する侵害の認定の仕方,アプローチが対立ではなく共同に変わってきている流れを知っておくべきである。
 最後に,県内の人権擁護委員が,啓発・相談・救済に関する種々の活動に対して,どのような関わりの希望を持っているかを問うアンケートでは,啓発活動を希望する委員が多く,一方で,啓発・相談の何れについても地元での活動を希望する人の割合が高いという結果が得られている。

 続いてパネル討論に入り,司会によるテーマ設定の説明から始まりました。
(説明に使用した資料【人権擁護活動図】はこちらからご覧になれます。以降の説明は,図を参照しながらお読みください)。


 人権擁護委員は,地方自治体の委嘱ではなく,法務大臣の委嘱を受けている。このことは自治体の委員ではなく,国の委員であるという立ち位置を意識しなくてはならない。また,人権委員ではなく,人権擁護委員であるということから,擁護という役割を負っているという点も立ち位置として心に留めておくべきと思われる。その上で,委員に求められている活動である啓発・相談・救済について,擁護の立場から検証をしておく必要がある。以上の趣旨から,本日の研修のテーマを「人権擁護委員の立ち位置」とし,さらに,擁護という目的を意識して,〜人権擁護委員による救済活動〜をサブテーマとして論点を絞ることにした。
 話を整理するために,活動を分けることにする。先ず,相談を受ける活動により,人権侵害が具体的に発生し認識できたと考え,実際的な見える救済が行われている。一方で,相談以前では,侵害は起こってはいないので見えず,救済も起こらない。しかし,啓発という活動を通して,起こるかもしれない侵害を予防し,侵害されなくて済んだという見えない救済をすることができる。加害者や被害者となったかもしれない人を,啓発活動によって共に未然に救ったと考えるべきである。さらには,侵害とは知らずに侵害している人や,侵害とは知らずに侵害されている人の自覚を促すことで,隠れた人権侵害を救済することも起こりえる。このように,相談を受ける前後で見える救済と見えない救済という違いがあるが,いずれも救済を意識した活動が人権擁護委員に求められているのである。

 以上の前置きの後,人権擁護委員が行っている個々の活動に対して(人権擁護活動図の左側に示されている緑の矢印を委員の立ち位置とみなして),どのような救済が見えてくるのか,3名のパネリストから意見の発表がなされました。

 啓発という領域から元委員の意見発表
 3月で退任するという時期に書類の整理をしていると,1枚の昔のメモが出てきた。研修のメモのようだが,「啓発と相談」と書いてあり,救済が抜けている。救済は特別なことということであったようである。これまでいろいろな啓発活動に関わってきて見えてきたことを話したい。人権の花運動では,ヒマワリの花を世話することで子どもたちが優しい気持ちになるし,中学生の人権作文では人権感覚が呼び覚まされ,気持ちの育ちが期待できる。心情の育ちを促すことで未来への救済になっていると思う。さらには人権作文の優秀作品を配布することにより,救済が広がっていることになる。
 知識を与えること貰うことが啓発であろうか? 知ることにより気付きが起こったなら,それは弱い救済となると考えたい。「いじめはやめよう」という呼びかけ型の啓発で済ませるのではなく,人権教室という手法を積極的に利用したい。その理由は,人権教室では,対象者,テーマなどを限定できるので,適切な具体事例を提供することができるからである。例えば,「プレゼント」の教材では,「そばでみているだけ」であってもいじめに加担していることになることを明確に例示している。デートDVの教材としているアニメでも,具体的な事例を提供しているので,視聴者は明確なイメージを得て,それまでは何となく居心地の悪さを感じていたことがDVであるという認識ができて納得できている。
 DVや人権侵害の気付きに止まらずに,どのような行動につなげていくかが大事である。新しい行動を起こすのは大変であり,困惑することもあることを思慮しながら,可能なつなぎ先を提示することが救済につながっていく。実際,人権教室で担任に相談していいという出口を話した後に,相談をしていった生徒がいたこともあった。

 救済という領域から法務局人権擁護部第二課長の意見発表
 調査・救済に関わった人権擁護委員は少ないと思うので,救済の流れを大まかに話すことにする。救済の端緒となる相談では,「人権侵害の疑いがあるのでは?」という判断までとなる。疑いがあるときには,相当というときに「立件」ということになる。調査に対しては,担当者,対象者,日時,場所,内容などの調査計画,手順を策定して,関係者の聴取,現場の検証,写真記録(落書きの場合など)などをまとめて調書を作成する。その際に,必要であれば他機関との連携も行う。侵犯事実を把握できたら,重大性,悪質性,動機,背景,落ち度,常習性,反省度,処分歴など検討し,適切な処置に至る。
 人権擁護委員は法務局職員と一緒になって調査に関わって貰うことがある。調査に関わる実務手順があるために,委員だけで調査することはしてもらっていない。案件によっては,委員の経験を活かしてもらうこともある。例えば,体罰などでは,教職経験を持つ委員のアドバイスが有効である。

 相談という領域から県連会長の意見発表
 長野県の調査で7割の子どもがいじめを我慢すると答えている。相談は信頼できる人にすると考えられるので,親や先生との信頼関係がないということになる。相談を受ける際に,相談者からの信頼関係をどのようにつくるかということが大事な課題となる。一つの事例がある。子どもがいじめを先生に相談したところ,先生はけんかと評価したために,子どもは不信感を持った。先生はいじめの定義が変わっていることを知らなかったようである。いじめは第三者が判定するものから,被害者が定義するものへと変わっている。相談者の訴えを聞く際には,被害者である相談者の立場が立ち位置になるべきである。
 別の事例として,精神病院の患者が親の言いつけである社会に役に立つことをするために公務員になりたいから退院したいと申し出た。担当医はとてつもないことを考えることがおかしいと判断した。患者の立場を勘案して共に考えようとしていない。信頼関係は相談者の心情との共感がなければ成り立たないものである。SOSミニレターで,レターの往復が行われて,やがて性的な虐待の相談が現れて,救済が行われたという事例もある。時間を掛けて信頼関係を築けば,本当の相談ができるようになるのである。
 被害には,過去の出来事として終わったことではなく,現在進行形のものもあると考えることが重要である。また,救済によって回復ができない侵害もある。そのような相談に対してどうすればいいのだろうか? 「今を分かってくれること」,それが相談者が望む救済であろう。

 会場からの意見を聞く時間が少なくなってしまい,数名の意見発表に止まってしまいました。

 ○啓発と教育の関係をきちんと整理した方がよいと思う。
 ○理想と現実を弁えなければならない。意見発表の中で言われていた啓発と相談が委員の妥当な活動であり,救済は専門ではない委員には無理であろう。
 ○相談に対して寄り添う,受け入れる人になっていないことがある。基本的人権の何が侵害されているのかを見極めながら寄り添うようにしたい。
 ○人は自分の立場で物事を考えるという話があったが,実感している。人権についてしっかりと考えておきたい。

 救済への委員の関与について,パネラーから補足がありました。

 ●救済に関与する委員の専門性について,教職経験のある委員の例を挙げたが,それはあくまで特例であり,職員と共に事情聴取をするなどの活動に参加できると思う。
 ●救済への関与としては,たくさんの人によるいろんな形の救済が必要である。必ずしも専門性だけで完結するものではないことを分かってほしい。

 限られた時間の中で意見の交換が不十分であったが,終了時間が決まっているので,司会による簡単なまとめに入りました。

 擁護という点にこだわって救済を目指そうとする論点で意見を発表していただいた。啓発という立ち位置からは,救済という山は遠くに見えているであろう。相談という立ち位置は救済の山の麓にあり,救済という立ち位置は救済の山の中である。それぞれの位置から見える救済は違っているが,目指している救済は同じものである。
 啓発については,全国中学生作文では,優秀作品を選ぶという手続きによって,人権擁護委員が擁護しようとしている人権概念を広く周知させること,また人権の花運動支援活動では,子どもたちに命の大切さを理解してもらうことに止まらず,ヒマワリの命を守ることに関わった喜びこそが人権意識であると学ばせることを目的とすべきである。
 人権教室やデートDVの活動では,意見発表で述べられていたように,限定された対象に相応しい人権課題を具体的に提示して,侵害の予防や再発防止を促して,見えないながらも救済の実現を目指していくべきである。
 相談については,相談すること自体が救済への扉を開けたことであると相談者にきちんと伝えつつ,相談者の「誰も分かってくれない」という苦しさを,寄り添って受け止めることで「分かってくれる人がいた」というメッセージを届けることで和らげられたら,第1段階の救済になるはずである。
 救済については,被害を受けた相談者に安心を与え,侵犯した者には反省を促し,共に救済することが,人権擁護委員の目指す目的であると考えることとしたい。

 以上で,研修の報告を終わります。それぞれの活動の立ち位置に応じて救済を見通すことを考えてみたいという初期の心づもりは,ある程度達成できたと思っています。

(2012年04月26日)