*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【故無し?】


 日本三大夜景は,「函館山から見る函館市の夜景」「六甲山から見る神戸の夜景」「稲佐山から見る長崎市の夜景」とされています。海と山に挟まれた都市部というコントラストの強さと、山にロープウェイで気軽に登れることが共通点である3都市が日本三大夜景と呼ばれるようになりました。神戸の夜景はかつて100万ドルといわれていましたが,夜景の値段はどのような根拠で計算したのでしょう。ただ単にすごい値打ちがある風景ということなのでしょうか。昭和28年のことです。電力会社の副社長が神戸の夜景に感動しつつ,六甲山から見渡せる街では,一体どれほどの電気が使われているのか,調べました。神戸,芦屋,西宮,尼崎,大阪などの1か月の電気使用量が当時約4億4千万円であったので,1ドル360円の換算で120万ドル,きりのいい100万ドルの夜景と名付けられました。今では1日10億円以上の電気代が掛かっており,ドルに換算して,1000万ドルの夜景になっています。かつては1か月の電気代,今では1日の電気代からの換算です。
 オリンピックの金銀銅メダルをはじめ,競技では,1等から3等までに賞が与えられます。昔からそうなっているのですが,4等や5等などまで賞がないのはどうしてでしょう? 17世紀初めのイングランドの州長官が,競馬の1等商品として銀のトロフィー与えることに決めて,銀細工師に製作を依頼しました。届いたトロフィーは賞品としてはとても渡せる代物ではなく,作り直しを命じました。作り直しも満足いくものではなく,再度の作り直しです。三度目の正直で長官を満足させるものが出来上がりました。ところで,長官の手元には不出来のトロフィーが2個残ってしまうことになります。長官は余ったトロフィーを無駄にしないために,1等から3等までにトロフィーを与えることにしました。これが,今日まで伝わっている1等から3等まで賞を贈るという慣習の起源といわれています。作り直しの回数が違っていたら,賞の数も違っていたのでしょう。4つであったら金銀銅鉛メダルとなったりして?
 数字には理の産物というイメージがあります。確かに,夜景のように,それなりに理に適ったものがある一方で,賞のようにただの偶然という理無しに定着してしまったものもあります。子どもから,どうして4等賞はないのと相談されたら,どう答えたらいいのでしょう?
 世間の慣習の中には,どうしてそうなっているのか分からないことがたくさんあります。しかし,特別に明快な理がなくても,社会生活上で,物事がうまく進んでいるのであれば,受け入れていくことになります。もちろん,未知の理が発見されることによって,コペルニクス的転換が必要なときもあります。不都合なことが起これば,改めていけばいいでしょう。理無しに決まっていたことは,変えてはいけないという理もないのです。社会における不都合は,人権の侵害につながり,そのことによって理がないということが明示されます。理があれば,不都合は生じないはずです。
(2013年02月10日)