*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【異観交流?】


 利口なことを目から鼻に抜けるといいます。仏前に花を供え、灯明を灯し、香を焚くのが供養の基本です。鎌倉時代,あるお坊さんが小僧を連れて檀家を回っていました。小僧が、行く先々でいただくお布施の額をピタリと予想するので驚きました。訳を尋ねると,家の造作を見て、流れてくる香の匂いを嗅げば分かるというのです。香には、杉,椨,蓬,白檀,沈香とピンからキリまであります。そのどれかが分かれば、その家の懐具合が分かり,お布施の額も推察できるということです。目で見分け、鼻で嗅ぎ分け、得た情報を鋭く頭で読み解くのです。
 まぜこぜにすることをチャンポンといいます。チャンは鉦(かね)の音であり,祭りのお囃子などでチャンチャカ打ち鳴らします。ポンは鼓の音であり,能の囃子方がポンと打ちます。ところで,昔は、祭りは大衆的なもの,能は上流階級が楽しむ上品なものとされていました。この全く異なった世界の二つの音をチャンポンと一緒に打ち鳴らすのは型破りということになります。長崎チャンポンは具がごちゃ混ぜで麺類の食べ方としては型破りでした。耳で捉える音が,口での味わいに結びついています。
 目で見る形の違い,鼻で嗅ぐ匂いの違い,耳で聞く音の違い,口で感じる味の違い,それらの違いを組み合わせることによって,人は物事を総合的に分類することで解き明かしてきました。異なった領域の物事を型破りに結びつけて新たな世界を創造もしてきました。経験の違った3人の知恵を寄せれば文殊の知恵に匹敵するという故事も,また同じ形です。
 人が迷い道に入り込んだとき,同じ所を堂々巡りをしていることがあります。違った視点を持ち込んで,気持ちや考えを少しずらしてやると,出口が見えてくることがあります。迷っている、悩んでいるという状態は,そのずれを自ら持ち込めないでいることです。気晴らしという手が通用する軽い場合もあるでしょう。しかし,手に余って誰かに相談をせざるを得ないこともあります。人ごとに物事の感じ方や考え方が違うことを利用して,もつれた状況を解き明かそうと期待するからです。
 相談を受けるとき,先ずは思い取りという寄り添いが必須ですが,次の段階の応対が問題になります。私だったらという感じ方や考え方をそれとなく示すことができるはずです。環境や立場が違うということで参考にはされないかもしれませんが,他者との比較によって相談者は自らの立場を見直すことができます。外の世界とつながりを持つことで,違った考え方を取り入れることが,相談という場の役割です。
(2013年05月02日)