*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【体罰に関する講演?】


 全国人権擁護委員連合会の総会が7月18日,19日に福岡市で開催されました。その際の研究大会では,体罰に関する講演が企画されていました。その概要をまとめておきます。
 先ず,「体罰によらない教育のために」と題した福岡市教育委員会の取組が報告されました。

 体罰に関する調査が各県で行われており,福岡市の数字は多いというものではありませんでしたが,0ではないということで等閑視しているわけにはいきません。体罰を無くすことを目指した取組について紹介をいたします。
 学校教育法第11条では,「校長および教員は,教育上必要があると認めるときは,文部科学大臣が定めるところにより,児童,生徒および学生に懲戒を加えることができる。ただし,体罰を加えることはできない」と定められています。また,学校教育法施行規則第26条では,「校長および教員が,懲戒を加えるに当たっては,児童等の心身の発達に応じる等教育上必要な配慮をしなければならない」と懲戒に対する配慮を指示しています。
 体罰がもたらす弊害として,恐怖心,屈辱感,劣等感などを増大させて心の傷を生徒に残すこと,不満や恨み反発心に基づく不信感による教職員との関係の裏表化,さらには保護者や地域との信頼関係の崩壊といったことが考えられます。したがって,教育委員会では,「体罰によらない教育のために」というリーフレットを作成して,体罰撲滅に向けた活動を進めています。
 体罰の現状分析を行った結果,6割は思い込みや焦り,感情的な体罰であり,3割が部活動における見せしめ的な体罰でした。これらの体罰は,指導方法の改善により早急に無くすべき体罰とされました。また,残り1割は問題行動を繰り返す困難な生徒指導の場面で起こる体罰であり,関係機関との連携により無くすべき体罰とされました。
 指導方法の改善については,温かく信頼できる人間関係の構築が目標とされました。教師については,気負いや焦り,勝利至上主義や精神主義などを反省し,冷静で組織的な生徒指導,愛情による誠実な指導を目指します。児童生徒については,挑発や暴言,他の生徒への迷惑行為,部活動での不真面目な態度を改めさせるために,平常心で対応,分かりやすい語りかけと毅然とした態度,適切な助言を心がけます。家庭については,学校不信や批判,家庭不和,体罰の容認,虐待,親の病気などの多様な背景に配慮して,日頃からの頻繁な対話,教育力の支援,専門機関へ相談,スクールカウンセラーとの連携などを進めるようにします。
 関係機関との連携については,保護者,地域,関係機関との信頼関係をもとに毅然とした対応と粘り強い指導をすることが確認されました。困難な生徒指導とは,問題行動を繰り返す児童生徒に対し最大限の努力にもかかわらず改善が見られず,非行がすすみ,学校だけでは対応できないものです。徹底して関わろうとする姿勢で,ダメなものはダメという強い意識を全教職員が共有し,必ず子どもは変わるという信念を持ち,懐を深くした指導に努めています。もちろん,学校警察相互連絡制度などによる情報提供や交換は重要であり,定期的な連携が必要となります。
 体罰が起こったときの教育委員会の対応は,調査のためのチームを派遣,調査報告の分析,学校側の事故報告書提出,本人への指導,校長への指導といった一連の手続が想定されています。事後の対応が整っているとしても,体罰は未然に防止することが最重要です。そのために,分かる喜びのある授業をする,児童生徒へ徹底した関わりを持つ,家庭教育力の共感的支援を行う,誠実で愛情のある指導をすることなどが,普段から実践されていることが大事です。

 次の講演は,「体罰は子どもにどのような影響を与えるか」というテーマで,学術的な報告でした。

 体罰はしつけの一環であるという一般的な認識があります。そこで,そもそもしつけとはどういうものか確認しておくことにします。しつけという言葉は,仏教語の習慣性を意味する「じっけ(習気)」が広まる過程で「しつけ」に変化し,作り付ける意味の動詞「しつける」が名詞化した「しつけ」と混同されたものです。しつけとは,親子の信頼感に基づく見よう見まねを通して,行動や感情の自己調整が習慣化していき,自律に向けた育ちのプロセスであり,そこでは言葉の介在による伝達が主となります。
 体罰によってしつけられることは,親と子の支配関係が基盤となるために,痛みや恐怖で行動をコントロールすること,自己調整力ではなく他律性が育まれること,大人の感情や怒りが介在し言葉が無力化すること,子どもは拒否感を受け取ることなどが挙げられます。
 体罰によって子どもが身につけることは,恐怖感や不安感にたいする過敏性であり,暴力による対処・解決行動が身につきます。一方で,育ちに必須の安心感,安全感,信頼感,自己肯定感,自信,自己コントロール,言葉による解決能力が身につきません。したがって,対等な人間関係が作れない,規範意識や道徳観が内在化できないために,いじめ,暴力,非行へと逸れていく一方で,大人への警戒心や不信感が強く,頼ったり相談することが少なく,抜け出す道が閉ざされています。トラブルを言葉より暴力で解決することしかできないため,粗暴で攻撃的でルールを守れないという育ちをしていきます。さらには,体罰は心理的な影響のみならず,脳の発達障害を引き起こすという報告もあります。
 ところで,体罰を受けていても非行に至らない子どもたちもいます。どのような要因があったのか知っておくことが大事です。家庭環境の変化で体罰のないしつけを受けたことがある,家族の内外にかばってくれる人がいた,子どもが体罰を嫌だと思い,そのことを受け止めてくれる大人がいた,体罰をする親に意見をしてくれる人がいた,といった背景がみられました。体罰は嫌だという思いを受け止めてもらえないと,自分がいけない子だから体罰を受けると考えるようになります。非行化しなかったのは体罰のお陰などではなく,非暴力の大人の存在と正常な感覚の内在化が起こったからです。現状では,親以外の大人が側にいないという人的環境の貧困が見られます。
 体罰はエスカレートするという特質を持っています。体罰によって育つ子どもは自己調整力が形成されないので問題行動を頻発し,それが更なる体罰を招き,やがて体罰する方もされる方も慣れてしまい歯止めが効かなくなっていきます。また,問題行動は学校内での暴力とそれに伴う新たな学校での体罰の誘発,家庭内での他者に対する暴力へと伝搬することもあり,体罰を受けた成人が暴力の学習と記憶のフラッシュバックからパートナーや我が子に体罰をするといった連鎖も起こっています。このエスカレートする流れを断ち切ってやらないと,不幸が止めどなく拡散します。
 体罰をする大人の側の言い分は,「言って聞かん奴は殴るしかなかろうもん」ということです。言葉で説明しても行動が変わりにくい子どもたちがいます。既に体罰や虐待を受けて育ってしまった子どもたち,体罰とは異なる事由から大人への信頼関係が築けなかった子どもたち,発達障害のある子どもたちです。その子どもたちを救うのは体罰ではありません。体罰に依らない養育や教育の方法はあります。先ずは,子どもたちがルールを守れないわけ,問題行動を繰り返してしまう背景の正しい理解から始めて,日々の養育の中で行動上の問題に粘り強く向き合い,子どもの気持ちに耳を傾け寄り添いながら,少しずつ修正を図ることが大人の責任です。
 体罰を行う大人に対しては,その気持ちや意見に耳を傾け,過去の体罰を受けてきたつらい気持ちにより添いながら,一方で体罰の無益さと悪影響の重さを語りかけ,体罰のない養育を一緒に考えたり,相談機関の情報を提供したりと,焦らず穏やかに接する必要があります。特に体罰を受けてきた大人は,体罰を否定されると自分自身を否定された気持ちになり,強い怒りと悲しみを感じるようで,頑なに「体罰は正しい」と強弁します。その激しさに巻き込まれないで,穏やかで毅然とした態度を保つことが求められます。
 体罰は,即時的な効果が認められるようにみえてしまうものの,長期的には規範意識が内在化されにくく,攻撃性や非行,反社会的行動が目立つようになります。また,抑うつ傾向などのメンタルな問題も見られます。長じては反社会的傾向や子どもやパートナーへの暴力を示すようになります。養育方法として体罰は全く逆効果なものであるということを再確認しつつ,子どもの人権を守るという意味で,正しい養育のあり方と体罰を受けている子どもたちの救済を図っていくことが求められています。

(2013年07月28日)