*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

人権メモの目次に戻ります

【言いよう】


 母校のアマースト大学に講師として勤めていたクラークは,南北戦争が始まると,リンカーンの奴隷解放政策に共鳴し,3年間義勇軍の一兵士として戦場に赴き,少佐を振り出しに准将まで昇格しました。その後,故郷に戻り復職しました。学生の中に同大学で初の日本人留学生がいました。同志社大学を創立した新島襄です。その新島の紹介を受けた日本政府がクラークを招聘しました。札幌農学校の教頭になったクラークの月給は六百円で現在の価値に換算すると一千万円という高額でした。
 クラークと言えば,滞在8か月で日本を去るときに,「Boys Be Ambitious! Like this old man」(この老人のように,君たち若者も野心的であれ)という名言を残しています。アンビシャスという言葉は「野心」の意味合いが強いそうですが,翻訳した人が若者には「野心」よりも「大志」の方がふさわしいと気を利かせて「大志を抱け」としました。
 帰国したクラークは大学を辞職し,ニューヨークに移って洋上大学設立を画策しましたが,生徒が集まらず断念します。その後,知人・縁者から資金を集め,鉱山会社を設立しましたが,あっけなく倒産しました。裁判に敗れ,ショックから心臓病を患う羽目に陥り,日本から帰国後9年,五十九歳で亡くなります。葬儀は「山師」という悪評のためにひっそりと執り行われました。ちょうどアメリカに札幌農学校出身の内村鑑三が留学しており,直接の面識はなかったのですが,クラークを弁護する一文を新聞に寄稿して,クラークに被害を被った人たちから非難が殺到したということです。
 アンビシャス,野心を持っていた老人がたどった顛末を思うと,若者に野心を持てと言うことはためらわれます。翻訳者の言うように,野心ではなく大志の方が,激しさは削がれますが,堅実に思われてきます。どのようなキーワードを選んで使うかによって,行動の色合いが左右されます。
 相談を受けているとき,どのような言葉が繰り出されてくるのか,言葉の色合いを見極め,別の言葉で言い換えてみると,物事の見え方が改まることがあります。よく言われることですが,「30分しか時間がない」と言うか,「30分も時間がある」と言うかで,その後の対応が変わってきます。行き詰まっているとき,あれこれ駄目とあきらめてしまうか,駄目で元々やってみようとするか,動き出すことができます。

(2015年06月12日)