*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【ワタシの人権(私案)】


 昨年9月に,このメモ欄で一つの提案をしました。広報として編集発行している「協議会だより」に載せた原稿です。

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 人権を説明するときを考えてみましょう。「人権は人間であるという理由だけでだれもがもつ諸権利である」。「人権は全ての人が平等・普遍的かつ永久に持つ」。「人権は人間が尊厳を持って生きることができるために不可欠な基本的基準である」。人権の有り様について説明がなされているだけで,人権には直接言及されていません。人権の拠り所である世界人権宣言では,平等権,自由権,財産権などが掲げられています。これらの諸権利は侵害された経験によって見えてきた個別の権利の集大成です。
 啓発をする際には目標が必須です。さまざまな人権侵害があるから,人権を擁護する必要があるというスタンスが普通です。そのような対処療法も必要であり,分かりやすくはあるのですが,もう一つ先の目標を見据えておくべきです。それは人が尊厳を持って生きるということがどういうことかを定義することです。平たくいえば,幸せに生きるとはどういうことかを身近な言葉で真っ直ぐに定義しないままでは,人権啓発の目標は見えてこないのです。ワタシが幸せに生きている条件をワタシの言葉で箇条書きに定義してみませんか?
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 提案するだけではなく,私案を提示するのが礼儀でしょう。広報で半年にわたって連載(10月以降のこのメモ欄)をしておきました。ここで,箇条書きにまとめておきます。

   1.決定する権利  2.安心する権利  3.表現する権利
    (選択する権利)  (共存する権利)  (考察する権利)
    【誰が生きる】   【何処で生きる】  【何時生きる】

   4.参画する権利  5.希望する権利  6.理解する権利
    (協働する権利)  (計画する権利)  (学習する権利)
    【何が生きる】   【何故生きる】   【どう生きる】

 上記で【○○】で示した設問は5W1Hであることは明らかですが,この設問に答えることで,考察の完備性が確保されることを期しています。また,(○○)の項は社会生活の場における権利を表しています。それぞれの先頭に示した権利は,ワタシの意識・気持の中での権利という形にしています。以上を,ワタシの権利の基本構造として考えます。

 いくつかの事例に対して,侵害を判断してみます。
○ドメスティックバイオレンス:選択する権利を取り上げ,決定する権利をねじ伏せるという点で,人権侵害です。
○いじめ・虐待におけるネグレクト:共存する権利を奪い,安心する権利を奪うという点で,人権侵害となります。
○差別落書き・ヘイトスピーチ:問答無用と考察する権利を与えず,表現する権利の忙殺という点で,人権侵害です。
○性差別,障がい者就職差別:協働する権利を剥奪し,参画する権利をないがしろにするという点で,人権侵害です。


 次の考察では,社会の構造理念として,自由・平等・博愛というキーワードを想定するとき,人権との関係を明確にしておく必要があります。

 私の権利を主張・行使する「自由」
 他の権利を同等に認知する「平等」
 自他権利の衝突を調整する「博愛」

と考えると,社会は自由・平等・博愛を機能させることによって,必然的に権利擁護システムになっているということになります。つまり,人が生きていくために築いたものが社会であり,人が生きていくために目指しているものが権利であるからです。
 ここで,博愛という機能について補足しておかなければなりません。そこにも,英知が組み込まれているからです。権利の衝突のうち,対等な衝突の場合には,「真善美」という優先則を適応するという了解が博愛であり,不等な衝突の場合には,「弱者保護」という法制度に従うという了解が博愛です。
 たとえば,狭い道で行き会うときに,お互いに権利を主張するとぶつかり争いになりますが,お互いに譲り合うという「美」を発揮すれば,権利の調整が円滑に進みます。また,強者が恫喝により支配しようとする際,法は被害者となる弱者を保護していることは自明のことです。

 以上は,人権という世界がワタシとどのようにつながっているかというデッサンです。細部についての考察は未了ですが,とりあえずの一段落がついたと感じています。
(2015年08月22日)