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【偏断?】
昭和初期に多彩な才能を見せた北大路魯山人は,鎌倉に会員制の料亭を経営し,自ら包丁を手にする通人でもありました。名声と実態の間に隔たりのある文化人を嫌った魯山人は,「だいいち,面が貧相だよ.食うもの食ってない証拠だ」と罵倒していました。
食うことにも,食うものを作ることにも絶対の自信を持っていた魯山人は,ビールはある会社の銘柄一辺倒で,拮抗しているビールは,それを造っている会社の社長も含めて大嫌いでした。
日本の古美術の理解者であり,愛陶家でもあったスウェーデン人のトルエドソン夫人がこのことを知って,ある日,魯山人を招待してビールを出しました。「ソノビール,オイシイデスカ」と問われた魯山人は,「ビールはこの銘柄に限ります」と答えて,うまそうに飲み干しました。ところが夫人は,「アナタニハ,ビールノアジガワカリマセン」と言って,種を明かしました。実はそのビールは,びんは魯山人の好みのビールのビンでしたが,中身は彼が一番嫌悪していた会社のビールだったのです。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。恋は盲目。思い込んでいると,事実を見間違えたり,見えなくなります。人権相談を受けるとき,寄り添うつもりで,つい相談者の話に肩入れしていきます。相手方があるときには,一緒になって憤慨することもあるでしょう。その思い入れを持ったままに調査に入ると,相手方の話す事情を聞き間違えるかもしれません。中立的立場で事実を確認するためには,冷静な聴取が必要であり,そのために思いという心情的なフィルターを外すことです。偏見に基づいた予断にとらわれることがないように留意しなければなりません。
人は五感でとらえたものを言葉で定義して理解します。例えば,リンゴの色や形を見て味を舌で感じて,リンゴという言葉で覚えます。リンゴのイメージができあがると,リンゴを見ただけで味まで感じられ,さらにはリンゴという言葉を聞くと色や味などが思い出されます。このように感覚とイメージが結びついて,言葉で理解しています。ビールのお気に入りの銘柄という言葉に強く反応して思い込んでしまうと,ビールをその銘柄に感じようとして,勘違いが起こるのでしょう。もし,銘柄を隠して飲み比べといった状況であれば,念入りに検討するので,通であれば間違えないことでしょう。
思い込みが物事の理解を誤らせます。特にコミュニケーションの道具でもある言葉は,人によって言葉の獲得の経緯が異なるので微妙に意味合いに違いがあります。同じ言葉でも受け止め方が異なるので,話がすれ違う場合もあります。話を聞き取る際には,言葉のニュアンスの幅を想定しておかないと,真に寄り添うことができません。
(2016年07月09日)
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