*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【心明?】


 心に疑いの念を懐いてびくびくしていると,暗がりの中でなんでもないものが鬼の形に見えたりします。先入観があったり,疑う心があると,物事は正しく理解できず,往々にして間違いを起こすもので,これを「疑心暗鬼を生ず」といいます。
 ある人の庭にあるアオギリが枯れてしまいました。隣の親爺が「枯れたアオギリは縁起がよくないですよ」と忠告してくれました。慌ててその木を切り倒しました。隣の親爺がさっそく薪にするから譲ってくれといってきました。さては薪がほしいばかりに,人を騙したんだなとすっかり腹を立てたということです。
 ある金持ちの家で,ある日,雨のために土塀が崩れました。息子がそれを見て,「このままにしておくと泥棒が入るよ」といいました。隣家の親爺も同じ忠告をしました。その夜,泥棒が入り,家財をごっそり盗まれてしまいました。金持ちの家では,泥棒を予言するとはなんと頭のよい息子だと感心する一方,隣の親爺は塀が壊れていたのを知っていたから,犯人ではないかと疑われたということです。同じ忠告が聞く者の先入観で,違ってくるのです。

 自分がどのような先入観を懐いているか気付きにくいですが,他者の目からは判断の偏りが見えるので,先入観を見抜くことができる場合があります。だからといって,安心はできません。委員として話を伺っている相談の中には,疑心暗鬼にとらわれている内容と思われるものもありますが,そう思ってしまう方にも先入観があったりします。相談を受ける際には,曇りのない目と耳を持ち,心を明に保つことは難しいと自覚することが求められているようです。

(2016年09月01日)