*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【日向かい?】


 人権の花として,ひまわりを選び,小学生に種から種までの栽培を依頼し,命を育む経験から,共に生きる感動を学び取る事業を進めています。花を咲かせることが目標であるとしながらも,一粒の種が秘めている命の連鎖を尊び,豊穣な成育環境の一環としての人の世話という擁護活動の気付きが目的です。ところで,そのひまわりについて,人はどのように関わってきたのでしょう。歴史を概観しておきます。
 ひまわりは夏のシンボルの花で,強烈な太陽のイメージが強く,英名はサンフラワー(太陽の花)です。頭状花の形が太陽を思わせることに由来しています。かつて,インカではこの花を太陽の花として,シンボルにしていたそうです。インカは16世紀にスペインに滅ぼされますが,ひまわりはヨーロッパに伝えられ,太陽の花としての名を保ちました。ひまわりが渡来するまでのヨーロッパの太陽の花はキンセンカでしたが,より壮大なひまわりが,キンセンカからギリシャ神話以来の太陽の花の名を奪ったのです。
 中国には17世紀の初頭までに伝わり,西番葵,迎陽花,天蓋花あるいは丈菊と呼ばれました。日本には17世紀後半にもたらされたようで,「訓蒙図彙」に丈菊,てんがいばな,迎陽花の名を残していますが,ひまわりの名はなく,貝原益軒の「大和本草」が最初です。益軒はそれまでは「花譜」で日向葵,向日葵だけあげていました。ひまわりは日回りの意味ですが,牧野富太郎がそれは嘘だと強く主張されてから,その字義を失っています。ただ,若いつぼみのうちは,花の首が柔らかく,太陽の方向につぼみを向けるようです。
 太陽やお日様に由縁のある花として受け入れてきたようです。人にとって大切な太陽は,人の日々の暮らしに直接に関わるだけではなく,生き方についてもいろいろな形で導きをもたらしてきました。例えば,お天道様に恥じないという自己チェックもありました。それは人権という認識が生まれる前の人生指針でした。太陽がただの自然に追いやられた後,代わって天から万人に賦与されたものとして人権が創出されたのでしょう。生まれながらに持っているはずの生きる権利という捉え方です。

(2016年11月03日)