*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【不返線?】


 バチカン宮殿の一部となっているサン・ピエトロ寺院の屋上には,30体の世界各国の聖者の石像が並べられています。それぞれが3メートル近くもある巨像です。この石像を制作している彫刻家に,友人がやってきて言いました。「先日見たときから,ちっとも変わっていないようだが,一体どこが進んだんだろう」。すると,彫刻家は石像のあちこちを指しながら,「ここを一削りした。ここも一磨きしたさ。それからここの曲線も柔らかくしたし,ここに筋をつけた。また,この唇に言葉を与え,この腕にも力を加えたよ」と説明しました。友人はそれを聞き終わるとこう言いました。「なるほど。しかしそれはみな些細なことでは無いか」。
 彫刻家は「もちろん些細なことだ。けれども,その些細なことの積み重ねが総体の美につながるのさ。全体の美を表現することを,きみは些細なことだと言うのかね」と答えたのです。
 こうして,このサン・ピエトロ寺院の建築,絵画,彫刻に18年間の長い時間を注ぎ込んだ彫刻家がミケランジェロです。残念なことに,その完成を見ることなく途中で亡くなりました。
 人が今日一日にできることはごくわずかです。そのわずかをつなぎ合わせて作品ができあがります。人生という足跡を作品に見立てると,今日の些細な活動を明日に重ねていく地道な暮らしを続けることが大切です。もしも今日の活動に手を抜くことがあると,明日の積み重ねは小さな隙間を抱え込むことになり,日が経つにつれて行く先が傾いていくようになります。リセットの効かない彫刻と同じで,人生は一日の瑕疵によりひずみを含むことになります。
 彫刻は,鼻を大きめに,口を小さめに,と削っていきます。はじめから大きな口を削り出してしまうと,小さく修正することができないからです。人生も同じです。ある一線を越えないようにしていればなんとか修正できますが,過ぎてしまうと修復ができなくなります。覆水盆に返らずという,不返線を越える状況を招かないように用心することです。道を間違えそうになったら,早めに気付くことです。不安な気持ちになるとき,それが最後のチャンスなのです。
(2017年03月10日)