*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【光あれば?】


 昭和15年,法隆寺では金堂の壁画12面の修理工事に先立ち模写をすることになりました。色彩や運筆まで忠実に写さなければならないのに,堂内は薄暗く,絵は壁土の上に直に描いたもので取り外しが不可能な上,千余年を経て熱にも弱く甚だ脆弱でした。この難問を解決して一躍脚光を浴びたのが,東京芝浦電気株式会社(現在の東芝)マツダ支社照明課考案の昼光色蛍光灯でした。
 8月26日,初めて日本で蛍光灯が照明として登場しました。126灯の蛍光灯がセットされた照明器が壁画から1mの距離で点灯されると,仄暗い金堂内はたちまち小春日和のような和やかな光に照らし出され,壁画の弥勒菩薩の温容がくっきりと浮かび上がりました。その明るさに寺の人々も「永年お守りをしている私たちも,こんなに鮮やかなお姿を拝んだのは初めてです」と思わず合唱したほどでした。もちろん,和田英作画伯が弥勒菩薩を,入江波光画伯が弥陀浄土の模写に着手しました。
 蛍光灯が一般に知られたのは昭和26年に白色蛍光灯が実用化され効率が大幅に向上して以降です。  白日の下にさらすという言葉があります。閉じられた世界での人間模様が新しい概念に照らされると,いろいろなものが明確になります。障がい者の人たちの置かれていた世界を障がい者差別解消法という最新の法の光で照らすと,開かれた世界にすることができます。その光を持ち込む役割を担っているのが,人権擁護委員です。それができたとき,障がい者の方々がいる世界を暗くしていたのは合理的配慮を欠いていた社会であるということに初めて気付くはずです。

(2017年06月25日)