*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【通心?】


 言語学者の金田一京助が,日本に戻ったばかりの樺太へフィールドワークに赴きました。樺太アイヌの言語採集のためでしたが,オポチョッカの部落で沈黙の壁に阻まれました。洋服姿の京介が近づくと,話し声は途絶え,笑いは収められ,背を向けられて,とりつく島もなく,空しく日が過ぎて,独りぼっちのままでした。4日目,寂しさのあまり外に立って,遊んでいる子どもたちの姿をスケッチしていると,子どもたちが近寄ってきて,絵を指して何か言っています。そこで思いついて,新しく人の顔を描きました。目を描くと「シシ,シシ」,眉は「ラル,ラル」といった具合に子どもたちが叫びます。たちまち数語の単語が手に入りました。ついで,目茶苦茶な絵を書きなぐって,「何?」にあたる「ヘマタ?」を手に入れました。後は実に容易でした。こちらから石でも草でも「ヘマタ?」と聞けばいいのです。
 こうしておぼえたての数十の単語を,大人たちに使ってみると,その効果は絶大でした。ひげ面の男たちは白い歯を見せて,女たちは感嘆の叫びを上げました。隔ての壁はいっぺんに切って落とされ,心の小径は愉しくにぎやかに通じたのです。
 京介は言語を「心の小径」と信じていました。日本語とアイヌ語は違うので,心もすれ違っていて通じません。京介がアイヌ語を使わなければなりません。ところで,同じ日本語を使っている同士では,心の小径は通じているのでしょうか? そう思い込んでいるだけかもしれません。言葉が完全に心を伝えきれていないことがあります。そのすれ違いが,人間関係を壊します。殺人事件が親族間で起こる割合が半分を超えています。心が通じ合っているはずという思い込みが裏切られるということが背後にあるからかもしれません。
 相談者の「苦しい」という言葉に,「苦しいですね」とオウム返しが勧められます。簡単に苦しいと分かった風に言うのはやめてください,と叱られるかもしれません。「苦しいんですね」と,相手の思いのままを受け止めるように言葉を繋いでいくことが,寄り添う基本でしょう。心の小径は距離を置いて通じることが大事であり,同じ心を重ねようと細工をすることではないのではと思います。私のことを分かってくれる,受け止めてくれる,それは私が私であっていいと確認してもらえることです。
(2017年09月07日)