*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【静かな声?】


 昭和20年8月9日,原爆搭載機ボックスカーは雲のために小倉から第二目標の長崎へ向かいました。11時2分,雲間から長崎造船所を見たビーハン爆撃手はボタンを押しました。長崎医大の永井隆博士は大学病院で血みどろの救援活動の先頭に立ちました。夕方になってやっと暇を見つけて自宅へ向かいました。博士は婦人の死を疑いませんでした。生きていれば這ってでも病院に来ると知っていたからです。
 焼け跡はすべて無残な灰に化していましたが,土台がやや盛り上がっていることから自宅の判断がつきました。台所とおぼしい場所に骨片があり,そばに鉄製のロザリオが焼けただれていました。博士は焼けバケツを探してきて,その中に骨を入れました。再び,被爆者の待つ病院へ歩き出したとき,夕日が博士をあかね色に染めていました。「バケツのなかで,リン酸石灰の音がカサコソと鳴る」と,博士はそのときのことを書き記しています。かすかに夫人がささやきかけたのでしょう。
 心が乱れ,自分のことで夢中になっているとき,静かなる声は聞こえるはずもありません。乱れる思いをかろうじて今為すべきことに向けることで昇華した後の静かな一瞬に独りだけに聞こえてくる声があります。そのときまでに通い合わせた互いの思いが心の耳に響き続けているはずです。たまたまそばに居合わせている者には何も聞こえることはありません。静かさを共有するのみです。
 相談を受けるとき,相談者独りだけが聞いている静かな声があることを了解しておけば,すれ違うことは避けられるでしょう。
(2017年10月08日)