*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【曲がるも良し?】


 芭蕉や蕪村の俳諧の作風は,風雅を重んじ詩情に富んだものでした。一茶も当初はその作風に沿って俳句を詠んでいました。39歳の時に,15歳で江戸に出て以来の放蕩生活に区切りをつけ故郷の信州柏原に一時帰郷しました。その滞在中に実父が病死しましたが,その折に父は一茶に「この家の遺産をお前と弟とに半分ずつ譲り渡すから,早く国に戻り妻を持つように」と遺言しました。
 その後いったん江戸に戻りましたが,貧乏暮らしに不安が募るばかりで,住む家と一定の収入という安定に向けて決心し,再び故郷に帰り父の遺言の遺産分けを切り出しました。ところが故郷の肉親の反応は冷たいものでした。一茶の言い分を聞き入れるどころか,まるで厄介者が来たようなあしらいをしたのです。このとき憤慨した一茶の胸中をよぎったものが,「故郷やよるもさわるも茨の花」の一句でした。
 この句は一茶の感情がむき出しになっており,悲しみ嘆く一茶の悲痛な叫びが生のままに込められています。もはや芭蕉以来の伝統である風雅もまことの情もありません。やむを得ぬ衝動から生まれたこの一句によって,一茶は無意識のうちに当時やや形骸化しつつあった俳諧の壁を突き破ってしまいました。以後庶民感情あふれる名作を残すことになりました。
 神様は乗り越えられない試練は(試練しか)与えないと聖書にあるようですが,人生の分かれ道では方向転換のきしみが古今東西生じるようです。一茶と同じように,理不尽と思える目に遭うことが誰にでも起こるでしょう。関わる人たちを無理矢理正すことができる場合と,自分が気持ちを入れ替えるしかない場合があります。そのような分かれ道にいる人に相談を受けたら,どちらを選ぶか,それを決めることができるのは相談者本人であり,その結果を受け止め生かすのも相談者本人です。

(2018年01月03日)