*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【地のままが?】


 剣豪として知られる武蔵は,晩年は絵もたしなんで,二天と号しました。ある日,客分として身を寄せていた細川忠利から達磨の絵を描くようにいいつかりました。力一杯に描いてみましたが,筆が自分の意のままになりません。いつもよりできが悪いことが一目で分かります。「どうして思い通りに筆が運ばないのか」と,夜になり床についても眠ることができません。
 暗い時間が重く流れていく中で,武蔵は静かな苦闘をしていました。一瞬ひらめくものがあり,起き上がりました。「我が道の兵法で描くべきであった」。明かりを用意させて,筆を持って紙に向かいました。筆が驚くほど自在に生き生きと動いた。
 後日,武蔵は弟子たちに語りました。「あの時,達磨を思い撮りに描けなかったのは,己の兵法を忘れて,殿に気後れする心があったからだ。兵法の太刀をとるときは,天地もなければ,身分の高低もない。この心境で描けば,思い通りの絵が描けるのだ」。
 誰しも自らの人生には何事かを磨いてきています。他人と関わるときに,相手の思惑や世間の評判を慮り,自分を忘れることがあります。何事かに向かうとき,自分を装うとしてもそれは自分には馴染まないので,満足できる結果は生まれません。自分のありのままで取り組むことでしか,満足できる結果には到達できません。
 相談者に寄り添う際に,なんとかそれらしい回答をと意気込むと,出てくるものは自信のないものになりかねません。自分の経験から導き出されるものが私にとっての一番のものと思うことです。相談者に寄り添うためには,まず自分に寄り添うことが大切なのです。その出発点から始めると,次への必要な支援も的確に受けることができるようになるでしょう。

(2018年02月11日)