*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【重心?】


 織田信長は一見豪放磊落な性格に思われますが,細かい神経の持ち主のようです。ある夜のこと,信長の部屋から近習を呼ぶ声がします。「御用は何でございましょう」。1人の近習がまかり出て伺いを立てますが,信長は何も言わず,脇息に肘をついたまま,ぼんやりと灯りを見つめているだけでした。やがて,「さしたる用もない,下がってよい」と言われた近習が,要領を得ないまま詰め所に帰りつくかつかないうちに,再び,「誰ぞある」と呼ぶ声がします。
 今度は別の近習がおずおずと入室するが,振り向こうともせず,やはり灯りを見つめているだけ。仕方なく引き下がる。そして最後の近習がまかり出ました。「さしたる用もない,下がってよい」と言われたが,その近習は下がるときに畳の上に落ちている小さなゴミに気がつきました。近習はそのゴミをそっと拾って懐紙に包みました。退散しようとしたとき,再び信長の声がしました。「あっぱれな心がけじゃ,蘭丸」。
 小さなゴミ一つも見逃さない注意力と,命じられなくても主君の気持ちをくんで勤めを果たす気配り,そして落ち着いた動作は神経細やかな信長の気に入りました。明智光秀の謀反のために信長とともに滅びなかったなら,蘭丸は織田政権で重要な役割を果たす人物になったことでしょう。
 社会生活において人はそれぞれ細分化した役割を担っています。役割意識に拘ってしまうと,畳の上のゴミは掃除当番の人の仕事であり,担当が違う人は余計なことはしません。たとえゴミが目に入っても,自分とのつながりを認識することはありません。自分の行動する途上に何かしらの不都合な状況を感知し,適切な対処をする余力は,今も求められます。人が暮らしている社会はあれこれをきっちりと切り離すだけではなく,わずかな重なりを保つことで稼働していきます。
 オリンピック2020の陸上競技400メートルリレーで,日本チームはバトンタッチに失敗して残念なことに失格しました。バトンを渡そうとする人と受けようとする人がお互いに相手に向けて手を伸ばしてきちんと重なってこそリレーという協働活動が完成します。社会的な活動はすべて同じ構造です。私のすることじゃない,そんな認識でなされる社会活動は砂の城として崩れてしまうだけです。人の間の在り方も同じように心を重ねることと考えることができそうです。
(2021年08月09日)