【人権とは(再考)?】
人権について啓発をする際に,資料として法務省人権擁護局発行の「人権の擁護」という冊子を配って説明する場合が多いことでしょう。話の順序としては,「人権とはどういうものか」という説明から入ることになります。そこで,はじめのページを参照することになるでしょう。
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「人権」という言葉からあなたはどんな印象を受けますか。
私たちは、「人権」とは、
「全ての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」
あるいは
「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」
であり、誰にとっても身近で大切なもの、違いを認め合う心によって守られるものだと考えています。また、こどもたちに対しては、「命を大切にすること」、「みんなと仲良くすること」と話しています。
「人権」は、誰でも心で理解し、感じることのできるものです。
しかし、現実の社会では、いじめや虐待等によってこどもの命が奪われることや、インターネット上に個人の名誉やプライバシーを侵害したり、差別を助長したりするような投稿がされることがあります。また、障害のある人や外国人、性的マイノリティ等に対する不当な差別や偏見、部落差別(同和問題)やハンセン病問題といった多様な人権問題が依然として存在しています。
【法務省人権擁護局 人権の擁護 はじめに】
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繰り返しますが,人権とは「幸福追求の権利」であり,「人間らしく生きる権利」とあります。
さらに,「誰でも心で理解し,感じることのできるもの」なのだそうです。でも続いて,誰でも理解できるのに,様々な侵害が起こっているという実状が説明されています。現実社会では,理解できていないのです。
ここでは冊子の不備をとがめ立てしようというのではありません。読み手が状況を補うことで正しく理解すればいいのです。
人権の歴史を思い返すと,人権は失ったときに気付かされてきました。自由が奪われて初めて,自由という権利を心で理解し感じさせられたのです。しかし,逆に自由であるときには人は何も感じなくなります。
人がそれぞれにそれなりに自由である現在の状況下で,どうして人権侵害が起こってしまうのでしょう。自分の自由な思いの中に周りの他者を勝手に組み入れてしまうことが越境になるからです。自分が自由であると同時に他者も自由であることに思い至らないことが起こります。他者を自分の自由にできるという越権が侵犯を引き起こします。自分の自由の権利は,自分だけに限定されていること,他者には及ばない,他者には他者の自由があることを擁護しなければなりません。そのためには,私の自由についてきちんと意識できていなければなりません。
私の人権の範囲はワタシだけに限定されている一方で,あなたの人権は擁護すべきものとして理解されていなければなりません。人権とは,
私の人権 + 互いに擁護(間) + あなたの人権
という構造をしていると考えるべきです。人間らしく生きる権利とは,人としての間柄の交換関係が間にあると意識して初めて理解できます。
この「間」をお互いに尊重する人間らしさがあるお陰で,人は私個人の幸福を追求することができる自由を獲得します。お互いに自由であるという間柄によって,人は自分のことは自分で決めていくことが可能になります。自分で決める,自らに由る,それが私の幸せを追求する権利の一つに数え上げられます。
人と人との間で擁護し合う形をしている人権によって,私の幸せ人権がもたらされていきます。この構造を弁えていれば,人間という存在が少しは見やすくなるはずです。あえて簡略化してしまうと,人は常に「間」をまとっていて,
「人間らしい権利」=「私の幸せ権利」+「互いの間を擁護する義務」+「あなたの幸せ権利」
となります。権利には義務がつきものなのです。
(2024年02月19日)